2008年11月13日木曜日

11月例会の様子



報告者のお2人と、司会(運営委員)。





討論の様子。
たくさんのご来場、ありがとうございました。

シンポジウム「国民国家形成期の民衆運動と政治文化」

 アジア民衆史研究会より以下の企画のご案内を頂きましたのでここに掲載いたします。

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人間文化研究機構アジア民衆史研究会 シンポジウム

国民国家形成期の民衆運動と政治文化

主催:人間文化研究機構連携研究「国民国家の比較史的研究」班

共催:アジア民衆史研究会

日時:1129日(土)930分~1730

場所:明治大学駿河台校舎 リバティータワー8階 1083教室

問題提起:趙景達(朝鮮近代史、千葉大学文学部教授)

基調講演:深谷克己(日本近世史、早稲田大学文学学術院教授)
「東アジア法文明圏と政治文化-『百姓成立』論の視界-」


報告者:

久留島浩(日本近世史、国立歴史民俗博物館教授)
「近世後期地域社会の運営と民衆運動-19世紀の美作地域を中心に-」

秋葉淳(オスマン帝国史、千葉大学文学部准教授)
「19世紀オスマン帝国における改革と抵抗―アナトリアの事例から-」

藤谷浩悦(中国近代史、東京女学館大学教授)
「民国初期の政治的統合と地域社会―第二革命前後の湖南省を中心に―」

愼蒼宇(朝鮮近代史、都留文科大学講師)
「武装せる『無頼之徒』-韓国併合期における抗日蜂起とその政治文化-」

割田聖史(ドイツ−ポーランド近代史、宮城学院女子大学准教授)
「異化と統合のはざまで-帝都ベルリンのポーランド人-」


コメント:石田憲(国際政治史、千葉大学教授)


全体討論司会・総括:須田努(日本近世史、明治大学准教授)


事前のお申し込みは必要ありません。みなさまのご参加をお待ちしています。

2008年10月19日日曜日

11月例会のお知らせ

下記の要領で11月例会を開催いたします。どうぞお気軽にご参加下さい。

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歴史学研究会近代史部会11月例会

ナショナル・ヒストリーのつくり方

日時:119日(日)1300

会場:早稲田大学26号館(大隈記念タワー)302教室
   東京メトロ東西線早稲田駅 徒歩3分 [地図]

参加費:レジュメ代のみ、実費をいただきます

報告:立石洋子
   スターリン政権期のソ連における自国史像の変遷

   長谷川亮一
   「皇国史観」における「日本」の範囲と「八紘為宇」の理念
                  ――文部省編纂書籍を中心に
 
※参考文献 
 長谷川亮一『「皇国史観」という問題』(白澤社,2008年)
 立石洋子「ソ連における「国民史」の創造」(『歴史学研究』845,2008年)

主催:歴史学研究会近代史部会
http://rekiken-kindai.blogspot.com/

2008年10月8日水曜日

同時代史学会 第20回定例研究会のお知らせ

 同時代史学会より、第20回定例研究会のお知らせを頂いたので掲載いたします。

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同時代史学会 第20回定例研究会

戦後社会と映画文化

日時:2008年118日(土)、14:00〜18:00

会場:立教大学12号館 第1・2会議室(池袋キャンパス)[地図]
詳細は[同時代史学会定例研究会のページ]をご参照下さい。

報告者:
木村智哉氏
「アニメーションの消費文化への展開―東映動画における作品と制作者の動向を例に」
千葉慶
「日米安保体制と裕次郎映画―戦後日本映画における〈植民地的主体〉意識の臨界点をめぐって」

コメント:

お問い合わせ先:
〒186-8601 東京都国立市中2-1
一橋大学経済学部 森武麿研究室
E-mail: maro☆econ.hit-u.ac.jp(☆を@に変更)
Tel・Fax:042-580-8905

2008年9月8日月曜日

総合部会2008年度第1回例会のご案内

 歴史学研究会本部より、総合部会2008年度第1回例会のご案内です。
 みなさまのご参加をお持ちしております。

歴史学研究会総合部会 2008年度 第1回例会

公文書管理法と歴史学

有識者会議中間報告の射程と課題

日時:2008年921日(日)、13:00〜17:00

資料代:300円

会場:東京大学本郷キャンパス 法文1号館1階113教室[地図]
詳細は[歴史学研究会の部会活動のページ]をご参照下さい。

報告者:
加藤陽子氏「未来を燃やさないために-公文書管理をめぐる次の一歩」
安藤正人氏「『中間報告』を読んで-アーカイブズ学の立場から」
吉田裕氏「公文書の保存・公開問題と日本近現代史研究」

お問い合わせ先:歴史学研究会事務局
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-2 誠華ビル
Tel: 03-3261-4985 Fax: 03-3261-4993

2008年7月16日水曜日

アジア民衆史研究会2008年度第1回シンポジウムのご案内

 アジア民衆史研究会より、下記の企画のご案内をいただきましたので、掲載いたします。

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アジア民衆史研究会2008年度第1回シンポジウムのご案内



「警察」をめぐる

ポリティクス




東アジアにおける民衆の世界観 (8)

日時:2008727日(日)、14時から


報告:
 愼蒼宇 「近代朝鮮における警察と民衆」
 大日方純夫 (題目未定)


会場:早稲田大学染谷国際記念会館
東京都新宿区西早稲田2-3-4
早稲田駅(地下鉄/東西線)出口1より徒歩10分
※AVACO(財団法人基督教視聴覚センター)となり


2008年度アジア民衆史研究会では、「「警察」をめぐるポリティクス」を年度テーマに掲げ、「警察」と民衆が接触するミクロな範囲を対象とし、そこにおける権力と民衆との複雑な関係性を議論することで、近世・近代移行期における民衆の世界観の一端を明らかにしたい。

 これまでアジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げてきた。そこでは、空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。

 このテーマのもと、「君主観と主体の形成」(2001年度)、「他者をめぐる空間認識」(2002年度)、「他者をめぐる空間認識Ⅱ」(2003年度)、「移動・接触からみる空間認識」(2004年度)、「ウェスタンインパクトはいかに語られたか」(2005年度)の年度テーマを掲げて議論を重ねてきた。

 しかし、これらの議論は最終的には国民国家論に還元されてしまうだけではないのか、という課題が生じてきた。そこで、人々の生活世界における身近で微細な権力・政治の闘争をポリティクスとし、ある「場」にあらわれるポリティクスに注目して、そこから民衆の思考や行動をみることとした。2006年度は「死をめぐるポリティクス」を年度テーマに掲げ、死者の葬り方や墓地のあり方などに対し、近世・近代移行期の権力が多様なかたちで介入し、地域社会や民衆との相克を孕みつつ、新たな変容を生じさせていく様相を明らかにした。ついで2007年度は「老いをめぐるポリティクス」を年度テーマとし、「老人」に対する権力の関与だけではなく、「老い」やその対極にある「青年」を規定する社会的背景をも含めた議論を行なった。

その結果、「場」には、社会や大小の権力の介入があり、単なる対立に留まらない権力と民衆との様々な関係性を見出すという成果を得ることができた。その一方で、そこにみられる権力の多様さゆえに、権力と民衆との関係性をめぐる論点が広がりすぎたため、議論の集約という点では課題が残された。

そこで2008年度は、民衆世界に介入する様々な権力のうちの一つである「警察」を主たる検討対象として設定することとした。ここでいう「警察」は、近代国家制度としての警察に限定せず、広く治安維持権力一般を指すものとする。

従来、警察は民衆と対立する存在としてのみ位置付けられる傾向にあった。しかし、近年の研究では、権力と民衆の関係性を問い直すものがみられる。近代の日本においては、警察制度と民衆が接触するなかで「警察の民衆化」や「民衆の警察化」という事態が生じていたことが指摘され、植民地化過程の朝鮮においては、植民地権力が植民地民から憲兵を採用し、そのことが権力側・民衆側双方に矛盾をもたらす状況が指摘されている。

前近代の治安維持権力に関する研究でも、対立ばかりではない民衆との関係性が指摘されている。例えば近世の日本では、民衆を取り締まる側と取り締まられる側の人間が同一であることがしばしばみられ、農兵などのように民衆が治安維持権力を形成する事例が知られている。また中国史の研究においては、清朝期の江南地域で民衆が国家の治安維持権力を地域社会に招き入れて治安維持の実現をはかっていたことが明らかにされている。このようにしてみると、抵抗と抑圧の図式のみに回収されない「警察」と民衆との関係性を描くことが現在求められているといえよう。

「警察」をめぐるポリティクスをみることは、「警察」研究を進展させるだけではなく、民衆史研究にとっても大きな意味があろう。なぜなら、民衆の生活世界を対象としたミクロな視点で「警察」と民衆の接点をみることによって、そこにあらわれる民衆と権力の複雑な関係性を描き出し、民衆の世界観の新たな側面を浮かび上がらせることができると考えられるからである。

そこで2008年度第1回シンポジウムでは、朝鮮の警察や憲兵についてご研究されている愼蒼宇氏と、日本近代の警察史をご研究されている大日方純夫氏のお二人にご報告いただくことにした。
活発な議論を期待する。


2008年6月5日木曜日

早稲田大学文学学術院シンポジウムのご案内

 早稲田大学文学研究科の日本近現代史ゼミより、企画のご案内がありましたので、ここに掲載いたします。

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早稲田大学文学学術院公開シンポジウム

歴史学にもっと論争を! 
――安丸良夫『文明化の経験』をめぐって――

日時:614日(土) 13:00
場所:早稲田大学戸山キャンパス 36号館682教室 
報告:安丸良夫氏、深谷克己氏、大日方純夫氏
司会:金井隆典氏、檜皮瑞樹氏
主催:早稲田大学文学学術院日本近現代史ゼミ・近世史ゼミ・政治学研究科梅森直之ゼミ
ビラ:http://www.waseda.jp/bun-jlc/yasumaru/yasumaru3b.jpg
サイト:http://d.hatena.ne.jp/ummr/20080517

【趣旨文】

本企画の趣旨

 昨年発行された安丸良夫氏の著作、『文明化の経験――近代転換期の日本』(岩波書店・2007)は、氏が80年代に発表した論稿を中心としているが、新たに書き下ろされた序論と現代の問題状況を考察した補論を加えることで、既出の論文に新たな意味を付与し、現在の地点からの「近代転換期の日本」の再解釈と総体的な理解を試みた積極的な問題提起の書となっている。
 
 周知のように、1990年前後を画期として、歴史学の方法に対するさまざまな懐疑的見解が提出されている。歴史学の言説の政治性や権力性が繰り返し指摘されるとともに、〈対象とする時代の全体像を描き出す〉というこれまで歴史研究者が目標と定めてきた行為そのものについても、その原理的な不可能性や叙述の受け手に対する抑圧的側面が強調されてきた。歴史研究を取り巻くこのような状況が、若手研究者たちの間に「方向感覚の喪失」とも言うべき気分を醸成し、研究の個別分散化や浮遊化を助長しているという指摘もある[1]

 安丸氏も、こうした歴史学批判の動向やそれらの主張が拠り所とする諸思潮を積極的に吸収しており、それは、近代歴史学を近代世界の自己意識として規定していることによっても示されている[2]。しかし、こうした理解に立ちながら――そして、自身の内面に暗い虚無感を潜ませながら[3]――も、あくまで歴史学のディシプリンを堅持し、大胆な歴史像の提示を行っているところに安丸氏の立場が現れている。その意味で『文明化の経験』は氏の現在の歴史学に対する挑発の書と言うことができよう。今回、私たちが本シンポジウムを企画したのは、歴史学のゼミナールに所属する――「方向感覚の喪失」を指摘される――学生として、こうした安丸氏の問題提起をとりわけ深く考えるべき立場にあると考えたからにほかならない。
 
 そのための補助線とすべく、本シンポジウムでは、安丸氏からの論争的な問いに対し、研究対象の近いお二人の方から応答をいただくことにした。
 
 大日方純夫氏について安丸氏は「民権期研究正統派」と位置づけた上で、その所説に批判的な検討を加えている[4]。安丸氏の大日方批判の眼目は、いわゆる「民衆史派」からする「民権派」批判という主旨ではなく、むしろ「民権派対民衆史派」という対抗軸自体の有効性に疑義を呈し、より豊かな歴史像の構築に向けての方法を提起するところにあると思われる。ことは歴史理論をいかに深めるかということに関わっており、したがって、両氏の対立点は単に個別の実証的レベルではなく、対象へ切り込むアプローチの仕方や、さらには日本の近代に対する全体的な評価にまで及ぶものと思われる。
 
 一方、深谷克己氏と安丸氏とは、共に民衆史研究の草創に立ち会い、長らくこの領域をリードしてきた間柄にあり、大きな見解の相違はないように思われる。しかしながら、近世社会における法的支配のあり方に注目し、その中での民間社会の自立化を重視する深谷氏と、社会秩序の背後にある宗教的心性や暴力の存在に注意を払う安丸氏との間には、近代の市民社会に対する観方や逸脱的契機の捉え方などを含め、歴史観の基本的な部分に関して看過しえない対立点が存在すると考えられる。
 
 深谷氏が「分野史でなく、全体史の視点が歴史学の存在理由である」と述べ[5]、大日方氏が歴史学の「現在の現実に足場を据えて過去を未来に架橋する」役割を繰り返し強調していることからも分かるように[6]、現在との緊張関係の中で歴史の全体像に迫ろうとしている点で、三氏は大きな目的を共有していると言える。そうであるからこそ、『文明化の経験』の中で安丸氏が提示した論点を介して、三氏の歴史観の共振と相克を孕んだ関係をあらためて議論の主題とすることで、その緊張関係の中から歴史学の次の段階を展望する手掛かりが見出せるのではないかと考えている。

 現在の歴史研究が方向感覚を喪失しているとするならば、その恢復の道は、個別的な実証研究に埋没することでも、出来合いの歴史観をそのまま受容することでもなく、歴史研究者の一人一人が、過去と現在との間で問題意識と研究方法を絶えず鍛えなおし、そうして得られた歴史像を互いにつき合わせ、論争するという実践を通してこそ開けるものであろう。今回の試みがそうした気運を励ますことに多少なりとも貢献できれば幸いである。

実行委員会  


[1] 高岡裕之「日本近現代史研究の現在――「社会」史の次元から考える―」(『歴史評論』693・2008)。
[2] 安丸『文明化の経験』、13-14頁。
[3] 同上、414頁。
[4] 同上、22-24頁。
[5] 深谷克己『綱引きする歴史学』(校倉書房・1998)、 54頁。
[6]大日方純夫『近現代史考究の座標――過去から未来への架橋』(校倉書房・2007)。


2008年6月2日月曜日

2008年度歴研近代史部会大会報告批判会

 歴研近代史部会では、下記の要領で大会報告批判会を開催いたします。
 お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。

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2008年度近代史部会大会報告批判会

日時:629日(日)14:00
場所:早稲田大学早稲田キャンパス26号館302教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html

タイムスケジュール(仮):
14:00~14:10 部会の主旨説明
14:10~14:40 大会報告批判(1) 柴田暖子氏
14:45~15:15 大会報告批判(2) 黒川みどり氏
15:15~15:30 休憩
15:30~15:50 リプライ(1) 貴堂嘉之氏
15:50~16:10 リプライ(2) 松田京子氏
16:10~16:30 休憩
16:30~17:30 全体討論

2008年6月1日日曜日

東京歴史科学研究会より企画のご案内

 東京歴史科学研究会の佐藤美弥さんより、次の2つの企画のご案内をいただきましたので、お知らせいたします。くわしくは、東歴研のウェブサイトをご覧ください。

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2008年6月 「入門講座」
【講演】池上裕子氏(日本中世史・成蹊大学) 「中近世移行期を考える」
【日時】2008621日(土) 14:00~(13:30開場)
【会場】立教大学(池袋キャンパス)5号館5224教室
【参加費】600円
【講演概要】
「近年の中近世移行期の論点のひとつに、いわゆる「移行期村落論」がある。勝俣鎮夫氏の村町制論・村請論を契機に議論が活発化した村落論では、「自力の村」論を中心とした研究がひとつの潮流を形づくっている。その結果、まとまっ た形でこれまでの史料の解釈・位置づけに大きな変化がもたらされているのが北条領に関する村・戦国大名関係論であろう。そこで、北条領国を中心として、移行期の「村」を、「郷」や地侍に焦点を当てて検討してみることとする。」

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2008年「7月例会」 
「フィールドワーク 戦争の展示をみる―東京大空襲・戦災資料センター、しょうけい館―」

【期日】2008712日(土)
【集合】東京メトロ半蔵門線住吉駅 B1出口 12:30集合
【コース】
13:00~ 東京大空襲・戦災資料センター見学
      (江東区北砂1-5-4) 
      http://www.tokyo-sensai.net/

16:00~ しょうけい館見学
      (千代田区九段南1-5-13共同ビル九段2号館)
      http://www.shokeikan.go.jp/

※入館料・移動費をご負担いただきます。
※当日は東京大空襲・戦災資料センターの館員の方から展示のご説明をいただく予定です。

2008年5月31日土曜日

2008年度歴研大会の様子

 遅ればせながら、5月18日に行われた、2008年度歴史学研究会大会近代史部会の様子をご紹介いたします。

 本年度のテーマは、「「分類」のポリティクス――近代的「人種」の再検討」でした。





 趣旨説明をする千代崎運営委員。趣旨文は、こちらをご参照ください。





第1報告は、貴堂氏。

「『人種化』の近代とアメリカ合衆国――ソシアビリテの交錯と『国民』の境界」







 お昼休みをはさんで第二報告は、松田氏。

 「植民地支配下の台湾原住民をめぐる『分類』の思考と統治実践」








 つづいて、池田氏によるコメントが行われました。








 同じくコメントの冨山氏。










 当日はのべ200名弱の参加者があり、活発な議論が交わされました。どうもありがとうございました。








 司会は、運営委員の佐野・新井が担当しました。



2008年5月20日火曜日

中東学会24回大会公開シンポジウムのお知らせ

中東学会よりご案内をいただきましたので、ここに掲載いたします。


中東学会24回大会公開シンポジウム
「パレスチナ問題と日本社会」
(千葉大学大学院人文社会科学研究科、日本中東学会共催)

 1948年のパレスチナにおける「ナクバ」(=アラビア語で「大破局」の意。イスラエル建国、第一次中東戦争勃発により大量のパレスチナ難民が発生)から、60年が経過しました。

 この節目の年に、パレスチナ問題の歴史を振り返り、同時に日本社会とパレスチナ問題との関わり方を検証する、下記のようなシンポジウムを開催致します。どうぞ奮ってご参加下さい。

日時 24日(土)13:20~17:15

場所 千葉大学 西千葉キャンパス けやき会館大ホール

①基調講演
広河隆一「パレスチナのNAKBAから60年」
板垣雄三「日本問題としてのパレスチナ問題」

②リレー討論=臼杵陽、藤田進、奈良本英佑、立山良司、平山健太郎、田中好子、岡真理、田浪亜央江

(入場無料)

連絡先=千葉大学文学部 秋葉研究室内 中東学会実行委員会事務局 
TEL&FAX:043-290-3630
james2008@L.chiba-u.ac.jp
http://wwwsoc.nii.ac.jp/james/meetings/docs/24th/annual24.html

2008年4月27日日曜日

2008年度 歴史学研究会大会 近代史部会のご案内

近代史部会大会を開催します。みなさまのご参加をお持ちしております。

歴史学研究会 近代史部会 大会

「分類」のポリティクス

──近代的「人種」の再検討

日時:2008年518日(日)、10:30〜

会場:早稲田大学早稲田キャンパス
[歴史学研究会の大会ページ]をご参照下さい。

報告者:

貴堂嘉之氏「『人種化』の近代とアメリカ合衆国-ソシアビリテの交錯と『国民』の境界-」
松田京子氏「植民地支配下の台湾原住民をめぐる『分類』の思考と統治実践」


コメンテーター:池田忍氏、冨山一郎

司会:佐野智規(近代史部会運営委員)、新井正紀(近代史部会運営委員)

時程:

10:30 趣旨説明
10:40 報告(貴堂嘉之)
11:40 休憩
14:10 報告(松田京子)
15:10 休憩
15:30 コメント(池田忍)
15:50 コメント(冨山一郎)
16:10 休憩
16:20 リプライ
16:40 討論
17:40 終了


【2008年度大会近代史部会主旨文】

「分類」のポリティクス 近代的「人種」の再検討

 今年度の近代史部会では、「人種」をテーマとして取り上げ、「人種」が構築された歴史的・社会的状況とその後の展開を検討することで、「分類」することにどのようなポリティクスがあるのかを論じる。「人種」が身体的特徴を基にした単なる区別ではなく、差別と偏見を拠りどころに「人種」間の優劣を提示するために社会的に構築されたものであることは、これまでも明らかにされてきた。また、「人種」差別的であるとされた表現の禁止や、アメリカにおけるアファーマティブ・アクション廃止の動きに見られるように、今や「人種」差別はなくなりつつあり、差別されてきた者を「優遇」するのは逆差別であるとの主張もなされている。しかしながら、日本、アメリカ、ヨーロッパなどにおいて「敵」あるいは「他者」とみなされた人々への中傷・暴力といった「人種」差別は、新たな言説を伴いつつ、より複雑な形で再生産されている。こうした状況に対し、近代史部会では「人種」をめぐる近年の研究動向を参照し、そこで得られた分析視角を導入することで、これまで行われてきた/現在行われている「分類」の意味自体を批判的に検討することを目指す。
 ホワイトネス・スタディーズは、差別や「人種」問題を「マイノリティ」の側のみに焦点を当てて扱うことの限界性を指摘し、これまで「普遍的」な存在とされ観察の対象となることのなかった「白人」も、実は歴史的・社会的に構築された存在であったことを明らかにしている。ここでは、身体的特徴によって「白人」が定められているのではなく、「白人」という言葉によって示されているものも、地域や時代によって変化することが検証されている。また、「人種」についての学際的な研究では、「人種」が構築・再生産されている背景には、しばしば、ジェンダーや階級といった他の「分類」と相補的関係が存在することが指摘されている。この視角は、帝国と植民地において民族・階級・ジェンダーなどの「分類」が、複雑な権力構造の中で交錯していたことを指摘するポスト・コロニアル研究と共有されるものである。これらの研究においては、「分類」のポリティクスを認識するために、それぞれの「分類」の間の矛盾や共犯関係を検討することの重要性が提示されている。
 以上のような分析視角を基に、様々な近代的「分類」を脱構築する視点を提示するために、近代史部会では「人種」について考察する。近年の部会の問題意識とも関連させながら、以下の3つの論点を提示する。
①「人種」の近代性を検討する。前近代に各地で行われていた「分類」とは比べものにならないほど、体系化、グローバル化、身体化された「人種」概念は、どのような歴史的・社会的状況で必要とされ、また何によって強化されてきたのであろうか。国民国家と植民地という近代的状況で、「人種」の「分類」が行われた意味を問い直していく。
②「人種」と他の「分類」との関係性を論じる。前述したように、「人種」と他の「分類」は相補的関係にあることによって、曖昧で可変的でありながらも政治的に機能してきた。「人種」だけに着目することでは捉えきれない「分類」の権力性を認識することを目指す。
③劣った「人種」として「分類」された人々の反応に焦点を当てる。近年の近代史部会は、民衆あるいは「マイノリティ」とされた人々が権力に対して、どのような抵抗や交渉を展開したかに注目している。「人種」をめぐってもこうしたせめぎ合いが行われた。劣位に置かれた人々が、「われわれ」と「彼ら」の間の境界に対してどのように反応したのか、またその結果がどのようなものであったかを明らかにし、それぞれの人物・集団の反応を支えた論理を分析する。
 貴堂嘉之氏「『人種化』の近代とアメリカ合衆国―ソシアビリテの交錯と『国民』の境界」では、「近代」を読み解く歴史的視座として、「人種」がいかなる可能性を持っているのかを報告していただく。「人種化の時代」として近代を捉え、そこでアメリカ合衆国が果たした歴史的意味を検証する。アメリカ合衆国の国民化は、つねにホワイトネスを核にした人種化と相補的な関係を結びながら展開してきた。この国民化と人種化の歴史を、ソシアビリテ(社会的結合)の観点から、階級、ジェンダー、エスニシティとの相関関係に着目しつつ「国民」とは誰かをめぐる包摂と排除の歴史を分析すると同時に、近代におけるヒトの移動の中心としてのアメリカ合衆国が、この「人種」の近代に果たした世界史的な意味についても検証する。
 松田京子氏「植民地支配下の台湾原住民をめぐる『分類』の思考と統治実践」では、日本による植民地支配下の台湾において、人口数的にも社会的位置といった点からも圧倒的なマイノリティであった台湾原住民に焦点をあてて報告していただく。彼ら・彼女らを「分類」し、支配しようとする思考と実践が、具体的にどのような形で展開され、どのような暴力性を孕んだのかを考察する。
 両氏の報告に対し、池田忍氏と冨山一郎氏からコメントをいただく。多くの方々に参加していただき、活発な議論の場となることを期待する。
(千代崎未央)

[参考文献]
貴堂嘉之「未完の革命と「アメリカ人」の境界―南北戦争の戦後50年論」川島正樹編『アメリカニズムと「人種」』、名古屋大学出版会、2005年。
松田京子『帝国の視線』吉川弘文館、2003年。
ロンダ・シービンガー『女性を弄ぶ博物学 ―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?』工作舎、1996年。

2008年4月22日火曜日

修論報告会のお知らせ

近代史部会 修論報告会(5月例会)
 歴史学研究会近代史部会は、昨年度から開催している修論報告会を、今年度も引き続き開催することになりました。現状では、修士課程の2年間(それ以上)の成果である論文を書き終えても、大学内での成果報告会以外で(大学を越えて)検討しあう機会が、それほど多くはありません。そこで本部会は修士論文報告会の場を企画しました。この報告会が、修士論文の成果を報告していただき、修士論文執筆者相互の、また修士論文執筆者と研究者との研究交流の場となることを願っております。
 会員の皆様をはじめ、関心のある多くの方々の参加と活発な討論を期待いたします。本年度の報告者、報告題目、要旨は以下の通りです。

日時:2008年531日(土)、13:00〜17:50
   ※残念なことに、土曜日は研究棟にオートロックがかかってしまいます。可能な限り、時間通りのご来場をお願いいたします。
会場:東京大学駒場キャンパス 18号館2階 院生作業室
報告者:

黄綿史氏
言説としての『女性同性愛』の誕生
1910年代~1930年代の下層階級における『同性愛』関連記事の分析
階級、ジェンダー、民族という視点から1910年~1930年代の新聞・雑誌をもとに、当時の言説上における「女性同性愛」を分析し、女学生と女工との問題化の論理構造の差異を考察する。

大溪太郎氏
ノルウェーにおける政治的スカンディナヴィア主義の展開
1864年から1870年代前半を中心に
1864年のデンマーク-ドイツ戦争を契機とする若手歴史家の議論を中心に、ノルウェーにおける政治的スカンディナヴィア主義の思想的基盤を明らかにしつつ、19世紀後半の右派の結集に果たした政治史上の意義を考察する。

本多光氏
1903年ディック法にみるアメリカ合衆国民兵制度改革
連邦国家アメリカにおける民兵管理権問題
本報告においては、アメリカ合衆国における民兵(militia)について論じる。建国以来各州が独自に管理してきた民兵に対する連邦政府の管理権限を規定した1903年ディック法に焦点を当て、この改革法の性格とその成立過程を検討する。

荻野夏木氏
近代における民衆の「不可視の世界」
明治期を中心に
なぜ人は、占いや祈願、怪異を信じるのか。これらの「不可視の世界」は、近代において「迷信」であるとされ、排撃や啓蒙の対象となった。しかし、民衆の生活や思考の中に「不可視の世界」への信仰と関心は生き続け、やがて「新科学」や文化としても追究されるようになる。その過程を、新聞史料等を通して追っていく。


ポスター:

ご自由にご利用ください。関係個所に掲示いただけましたならば幸いです。

2008年4月21日月曜日

4月の例会のお知らせ

例会を開催します。みなさまのご参加をお持ちしております。

近代史部会 4月例会
日時:2008年426日(土)、13:00〜
会場:早稲田大学文学部キャンパス第一会議室(33−2号館)
報告者:

千葉慶氏「任侠道、沖縄に出会う:「分類」の詩学としての東映任侠映画と詩学の崩壊に関する一考察」
高井万寸美氏「人種の記号化:R・ヴァーグナーの論文『音楽におけるユダヤ性』にみられる表象としての「ユダヤ」」



【報告要旨】

任侠道、沖縄に出会う
──「分類」の詩学としての東映任侠映画と詩学の崩壊に関する一考察──
千葉慶

 一般に歴史学において、「分類」を論じる際には、政治的制度や言説に焦点が当てられるのが常である。本発表では、「分類」がわたしたちの生活に浸透する別の側面──物語として流通/内在化される過程──に着目してみたい。
 東映任侠映画とは「分類」の詩学である。登場人物に「分」を与える「分類」の安定性が、任侠映画世界に秩序を作り出した。その秩序は、任侠道の掟を遵守する〈親分‐子分〉の家父長制的縦軸を基軸としている。そして、そのブーム(1964〜72)は高度経済成長期と重なっている。熱狂的支持者は、社会変動期の混乱に苦悩する主人公たちに、自己(オレは高度経済成長期から疎外されている…)を重ね合わせることで同一化し、象徴秩序による充足感を得たがり、任侠映画の家父長的幻想とミソジニー的な「分類」の詩学を学習していったのである。
 対して、深作欣二は任侠映画が自壊する前に、「分類」の詩学の強度を試す実験を繰り返した。『博徒外人部隊』が興味深いのは、任侠映画の内外からあらかじめ疎外されていた沖縄を欲望の中心として描きこんだ点である。果して、「外部」の導入は、「分類」が正統性を有した絶対的なるものではなく、閉鎖空間の中での作為でしかないことを暴露した。また、「分類」される側から「分類」し返す実践によって、「分類」の正統性は相対化されるに至った。私たちは、ここに「分類」に抗する詩学を見出すことができる。

人種の記号化:
R・ヴァーグナーの論文『音楽におけるユダヤ性』にみられる表象としての「ユダヤ」
高井万寸美

 従来の研究においては、音楽家リヒャルト・ヴァーグナーの反ユダヤ論は国民社会主義との関連で論じられることが多かった。
 これに対して本報告では、ヴァーグナーの言説を当時のドイツにおける反ユダヤ論とのコンテクストのなかで捉え、その位置づけを探る。R・リュールプによれば、ドイツ社会において1870年代以降、「反ユダヤ主義の世界観化」という傾向が強まるのであるが、1850年に発表されたヴァーグナーの反ユダヤ論において、すでに「ユダヤ」の記号化・世界観化という現象が認められるのである。

2008年3月29日土曜日

民衆思想史の発想と方法-安丸良夫『文明化の経験』を読

直前になってしまいましたが、ご紹介致します。


歴史学研究会07年度第3回総合部会例会を2008年329日(土)に開催いたします。ご参加お待ちしています。詳しくはこちらから。

以下は歴史学研究会総合部会の広告文の引用です。

歴史学研究会総合部会例会のご案内

民衆思想史の発想と方法-安丸良夫『文明化の経験』を読む-

当委員会では、2007年度第3回総合部会例会を以下のように企画いたしました。
会員非会員問わず、多くのみなさまのご参加をお待ちしております。

日時 2008年3月29日(土)13時~17時
会場 一橋大学西キャンパス本館26番教室(JR国立駅より徒歩10分)
報告 若尾政希氏 崎山政毅氏 安田常雄氏
応答 安丸良夫氏
資料代 300円

趣旨文
 歴史学研究会では、二〇〇七年度総合部会の第三回例会として、安丸良夫氏の新著『文明化の経験―近代転換期の日本』(岩波書店、二〇〇七)の合評会を企 画した。「歴史学を革新することで歴史学というディシプリンを頑固に守り抜こう、そのことにはいまも大きな知的な意味がある」(四一四頁)とする安丸氏 は、本書の序論において、自身の問題意識や方法的立場をギアーツ・フーコー・マンハイム・丸山眞男・ポラニーなどとの対比や、八〇年代以降の(近代日本) 民衆運動史研究の潮流とのちがいから説明している。それは、歴史学に固有の場を自身の研究に即して理論的に提示する試みともいえる。このような試みは、日 本近世・近代史にとどまらず、専攻する地域や時代を超えた幅広い研究者の関心に応えるものと思われる。
 本書の論点は多岐にわたるが、近世近代移行期の時代性・全体性に関わるものとして、一八七七(明治一〇)年を「文明化のための国民国家的統合の画期」と 位置づけている点に注目したい(一五頁)。農民闘争と士族反乱が鎮圧されたこの年以降、政治的社会的対抗は、国民国家的公共圏の枠内での対抗という性格を もつこととなる。それは同時に、暴力とコスモロジーの次元がそれぞれ隠蔽、稀釈化されていくことを意味するという。本論の各論稿は、この二つの次元、およ びその転換点に関わる内容となっている。また、補論には、安丸氏の「研究歴のなかに内包されていた論点を現代的な問題状況のなかで思い切って拡張してみた り、自分の発想の由来を自己言及的にのべて」(四一三頁)いる論文が所収されており、「通俗道徳」論の原像も示唆されている。
 以上のような本書の性格から、本例会は、コスモロジー論、暴力の領域をふくめた民衆運動史・社会運動史、固有の時代経験と発想、という三つの視角からの 報告で構成した。安丸氏の思想史研究における観点、分析、アプローチ、史料解読の方法から、固有の時代経験に根をおく発想のレベルまでを検証することによ り、今後の民衆思想史の、さらには歴史学の方法的展望を切り拓くための手がかりにしたいと考えている。
 若尾政希氏には、コスモロジー論の視角からの批評をお願いした。若尾氏は、近世日本における政治常識の形成と解体を全体として検討するうえで、コスモロ ジーの次元における継承と転換に視点をおくことの重要性を提示されている。若尾氏に、本書を批評して頂くことで、コスモロジーの次元へのアプローチがもつ 意義も強調されるのではないかと期待している。
 崎山政毅氏には、民衆運動史・社会運動史の視角からの批評をお願いした。崎山氏は、サバルタン研究の視座から、ラテンアメリカを中心とした「第三世界」 を分析されており、日本史の研究史上とは異なった文脈で安丸氏の著作を論じて頂けると考えている。また、安丸氏は、崎山氏の方法的立場を「アナーキズム的 永久革命論者の認識論」と評したことがあるが(「表象の意味するもの」歴史学研究会編『歴史学における方法的転回』青木書店、二〇〇二)、この点をめぐる 応答も期待したい。
安田常雄氏には、安丸氏に固有の時代経験と発想という視角からの批評をお願いした。安田氏が『<私>にとっての国民国家論』において、このような視角から 西川長夫氏の著作、国民国家論を論じられたことは記憶に新しい(牧原憲夫編、日本経済評論社、二〇〇三)。研究主体に固有の時代経験と発想という視角は、 学問の方法と思想史にたいする安田氏の関心(民間学)と重なっており、本書をはじめとする安丸氏の著作を根底で支えるものに言及して頂けるのではないかと 考えている。
 なお、日本近現代史研究者を中心とした討論会の記録である『<私>にとっての国民国家論』には、安丸氏の研究をめぐって活発な議論が展開されたことも記 されており、民衆イメージや個々の著作の位置づけなど興味深い論点が提示されている。この討論会は、一九九九年度の歴史学研究会全体会「再考・方法として の戦後歴史学」を一つの契機として企画されており、本例会がこれらの企画で提示された論点や問いを再検討する場になればと考えている。会員をはじめ、関心 のある多くの方々の参加と活発な討論を期待したい。


2008年2月18日月曜日

いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来:人間文化研究機構

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。
詳細は[シンポジウムのサイト]をご覧下さい。


統一テーマ「いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来」

人間文化研究機構「ユーラシアと日本」〈権力システム〉班主催シンポジウム(2008年3月1~3月2日)
 場所:京都市国際交流会館
(京都市左京区粟田口鳥居町2-1)

事前申し込みが必要となります。
住所、氏名(ふりがな)、職業または所属機関、団体名など、連絡先電話番号を記入し、葉書またはFaxでお申し込み下さい。申し込み締め切りは2月22日まで(申込先着120名)
申込先
565−8511
吹田市千里万博公園10−1国立民族学博物館管理部研究協力課共同利用係
Fax:06−6878−8479

いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来
【開催趣旨】
 国民国家の相対化が叫ばれて久しい。いうまでもなく国民国家とは、近代において成立したものであり、その成立は作為的であった。フランス革命の際に、何故に国民国家の成立が求められたのかといえば、ブルジョワジーが国王や貴族から政権を奪い取るために、現実には多様な階級や階層、エスニステイーで構成される第三身分なるものの一体性と絶対性を主張し、彼らを一括りに国民として定義づける必要があったからである。ここにフランスは、さまざまな政治文化や国家装置を生み出すことによって、国民なるものの歴史性と現実性と永遠性を不断に説き続けていくことになる。そして以後、国民国家は、近代国家の絶対的なモデルとなり、アジア・アフリカ諸国もその採用を迫られるに至る。
 確かに、国民国家にまつわる様々な政治文化や国家装置は、コピーとペーストが可能であり、どこの国でも国民国家が形成され得る与件を持っているかのようにみえる。しかしながら19世紀から20世紀前半にかけての世界史は、国民国家化を成し遂げて、さらに帝国主義化した国々と、国民国家の形成を意図しつつ、結局はそれに挫折、失敗した国々とによって特徴づけられる。国民国家化とは、為政者たちが作為を意図さえすれば、なし得るというものでは必ずしもない。しかも、同じく国民国家の創設に成功を収めた国であっても、その政治文化や国家装置のあり方にはさまざまな個性が窺われる。
 国民国家は相対化されるべきだが、そのシステムはすぐになくなるわけではない。それどころか、いまやグローバリゼーションへの反動として、再版国民国家化の動きが表れだしており、それは強化されようとさえしている。本国際シンポジウムは、こうした歴史段階にあって、国民国家の歴史的条件や生成、発展の歴史を比較史的に検証し、さらにはその未来をも展望することによって、混迷する世界史を読み説くための資を、いくばくかなりとも提供したいと念じて開催することにしたものである。関心のある方には、ふるって参加して頂き、大いに議論を活性化していきたいと思う。

第1セッション「在来社会の変貌と国民国家の形成」
 国民国家の形成には、在来社会のあり方がある種の規定的働きをしていると同時に、それがひとたび形成されると、在来社会は変貌を強いられていく。本セッションはアジアにおいて国民国家化に成功した日本と、半植民地化に陥りながらも必死に国民国家化を目指した中国を例にとって、その様相を検証することを課題としている。コメントは、アジアの西端で国民国家化に成功したトルコの事例をふまえてなされる。国民国家は果たして、在来社会のどのようなものを前提にしつつ、しかもそれらに変容をしいていくのだろうか?

第2セッション「帝国と国民国家」
 国民国家は往々にして帝国化の願望を持つ。後発の国民国家日本は、まさにその典型であった。しかし他方で、多民族からなる帝国が解体することによって国民国家が誕生する国もある。トルコが格好の事例である。また二重制をとるオーストリア=ハンガリー帝国は、その内部に国民化が進行しつつ、なお第1次世界大戦まで帝国が維持された。本セッションではこの3国を、文化形成の問題を中心に比較することによって、帝国と国民国家がどのような相関関係にあるのかを探っていきたい。

第3セッション「人間の移動から見た国民国家」
 現在グローバリゼーションが進行する中にあって、人々の移動はますます激しくなっている。本セッションはこの現実をふまえ、移民がいかにして国民国家の排他性を現出させていくのか、あるいは逆にいかに移民を取り込みつつ国民形成がなされいくのかについて検証することを課題としている。歴史的な検証としては中国内の移住民と在日朝鮮人の問題を取り上げて考えてみたい。また現在の問題としては、ヨーロッパにおける非正規滞在者の問題を取り上げる。

第4セッション「国民国家の未来を考える」
 国民国家の過去と現在を論じた3つのセッションを受けて、このセッションでは国民国家の将来と可能性について考えたい。発題者のひとりである板垣雄三は、これまで西洋近代のそれをモデルにして考えられてきた国民国家の概念を脱構築するために、その根にあたる中世イスラーム世界にまで立ち返って、この概念の抱えるバイアスや課題を検討する。フランスの社会運動論の第一人者であるアラン・トゥーレーヌは、社会運動を通じて絶えず革新されるものとしての国民国家の新しい概念を構想する。竹沢尚一郎は、国民国家がつねに擬制として内包している文化的同質性の概念がもはや可能ではないこと、それに代わる国民国家の基礎づけが可能かを問う。本セッションでは、国民国家の成立史、国民国家内部の政治と宗教の関係、国家と社会の関係など、国民国家をめぐる主要課題にとり組みながら、国民国家の将来を考えてみたい。