2008年4月21日月曜日

4月の例会のお知らせ

例会を開催します。みなさまのご参加をお持ちしております。

近代史部会 4月例会
日時:2008年426日(土)、13:00〜
会場:早稲田大学文学部キャンパス第一会議室(33−2号館)
報告者:

千葉慶氏「任侠道、沖縄に出会う:「分類」の詩学としての東映任侠映画と詩学の崩壊に関する一考察」
高井万寸美氏「人種の記号化:R・ヴァーグナーの論文『音楽におけるユダヤ性』にみられる表象としての「ユダヤ」」



【報告要旨】

任侠道、沖縄に出会う
──「分類」の詩学としての東映任侠映画と詩学の崩壊に関する一考察──
千葉慶

 一般に歴史学において、「分類」を論じる際には、政治的制度や言説に焦点が当てられるのが常である。本発表では、「分類」がわたしたちの生活に浸透する別の側面──物語として流通/内在化される過程──に着目してみたい。
 東映任侠映画とは「分類」の詩学である。登場人物に「分」を与える「分類」の安定性が、任侠映画世界に秩序を作り出した。その秩序は、任侠道の掟を遵守する〈親分‐子分〉の家父長制的縦軸を基軸としている。そして、そのブーム(1964〜72)は高度経済成長期と重なっている。熱狂的支持者は、社会変動期の混乱に苦悩する主人公たちに、自己(オレは高度経済成長期から疎外されている…)を重ね合わせることで同一化し、象徴秩序による充足感を得たがり、任侠映画の家父長的幻想とミソジニー的な「分類」の詩学を学習していったのである。
 対して、深作欣二は任侠映画が自壊する前に、「分類」の詩学の強度を試す実験を繰り返した。『博徒外人部隊』が興味深いのは、任侠映画の内外からあらかじめ疎外されていた沖縄を欲望の中心として描きこんだ点である。果して、「外部」の導入は、「分類」が正統性を有した絶対的なるものではなく、閉鎖空間の中での作為でしかないことを暴露した。また、「分類」される側から「分類」し返す実践によって、「分類」の正統性は相対化されるに至った。私たちは、ここに「分類」に抗する詩学を見出すことができる。

人種の記号化:
R・ヴァーグナーの論文『音楽におけるユダヤ性』にみられる表象としての「ユダヤ」
高井万寸美

 従来の研究においては、音楽家リヒャルト・ヴァーグナーの反ユダヤ論は国民社会主義との関連で論じられることが多かった。
 これに対して本報告では、ヴァーグナーの言説を当時のドイツにおける反ユダヤ論とのコンテクストのなかで捉え、その位置づけを探る。R・リュールプによれば、ドイツ社会において1870年代以降、「反ユダヤ主義の世界観化」という傾向が強まるのであるが、1850年に発表されたヴァーグナーの反ユダヤ論において、すでに「ユダヤ」の記号化・世界観化という現象が認められるのである。

0 件のコメント: