2008年4月21日月曜日

4月の例会のお知らせ

例会を開催します。みなさまのご参加をお持ちしております。

近代史部会 4月例会
日時:2008年426日(土)、13:00〜
会場:早稲田大学文学部キャンパス第一会議室(33−2号館)
報告者:

千葉慶氏「任侠道、沖縄に出会う:「分類」の詩学としての東映任侠映画と詩学の崩壊に関する一考察」
高井万寸美氏「人種の記号化:R・ヴァーグナーの論文『音楽におけるユダヤ性』にみられる表象としての「ユダヤ」」



【報告要旨】

任侠道、沖縄に出会う
──「分類」の詩学としての東映任侠映画と詩学の崩壊に関する一考察──
千葉慶

 一般に歴史学において、「分類」を論じる際には、政治的制度や言説に焦点が当てられるのが常である。本発表では、「分類」がわたしたちの生活に浸透する別の側面──物語として流通/内在化される過程──に着目してみたい。
 東映任侠映画とは「分類」の詩学である。登場人物に「分」を与える「分類」の安定性が、任侠映画世界に秩序を作り出した。その秩序は、任侠道の掟を遵守する〈親分‐子分〉の家父長制的縦軸を基軸としている。そして、そのブーム(1964〜72)は高度経済成長期と重なっている。熱狂的支持者は、社会変動期の混乱に苦悩する主人公たちに、自己(オレは高度経済成長期から疎外されている…)を重ね合わせることで同一化し、象徴秩序による充足感を得たがり、任侠映画の家父長的幻想とミソジニー的な「分類」の詩学を学習していったのである。
 対して、深作欣二は任侠映画が自壊する前に、「分類」の詩学の強度を試す実験を繰り返した。『博徒外人部隊』が興味深いのは、任侠映画の内外からあらかじめ疎外されていた沖縄を欲望の中心として描きこんだ点である。果して、「外部」の導入は、「分類」が正統性を有した絶対的なるものではなく、閉鎖空間の中での作為でしかないことを暴露した。また、「分類」される側から「分類」し返す実践によって、「分類」の正統性は相対化されるに至った。私たちは、ここに「分類」に抗する詩学を見出すことができる。

人種の記号化:
R・ヴァーグナーの論文『音楽におけるユダヤ性』にみられる表象としての「ユダヤ」
高井万寸美

 従来の研究においては、音楽家リヒャルト・ヴァーグナーの反ユダヤ論は国民社会主義との関連で論じられることが多かった。
 これに対して本報告では、ヴァーグナーの言説を当時のドイツにおける反ユダヤ論とのコンテクストのなかで捉え、その位置づけを探る。R・リュールプによれば、ドイツ社会において1870年代以降、「反ユダヤ主義の世界観化」という傾向が強まるのであるが、1850年に発表されたヴァーグナーの反ユダヤ論において、すでに「ユダヤ」の記号化・世界観化という現象が認められるのである。

2008年3月29日土曜日

民衆思想史の発想と方法-安丸良夫『文明化の経験』を読

直前になってしまいましたが、ご紹介致します。


歴史学研究会07年度第3回総合部会例会を2008年329日(土)に開催いたします。ご参加お待ちしています。詳しくはこちらから。

以下は歴史学研究会総合部会の広告文の引用です。

歴史学研究会総合部会例会のご案内

民衆思想史の発想と方法-安丸良夫『文明化の経験』を読む-

当委員会では、2007年度第3回総合部会例会を以下のように企画いたしました。
会員非会員問わず、多くのみなさまのご参加をお待ちしております。

日時 2008年3月29日(土)13時~17時
会場 一橋大学西キャンパス本館26番教室(JR国立駅より徒歩10分)
報告 若尾政希氏 崎山政毅氏 安田常雄氏
応答 安丸良夫氏
資料代 300円

趣旨文
 歴史学研究会では、二〇〇七年度総合部会の第三回例会として、安丸良夫氏の新著『文明化の経験―近代転換期の日本』(岩波書店、二〇〇七)の合評会を企 画した。「歴史学を革新することで歴史学というディシプリンを頑固に守り抜こう、そのことにはいまも大きな知的な意味がある」(四一四頁)とする安丸氏 は、本書の序論において、自身の問題意識や方法的立場をギアーツ・フーコー・マンハイム・丸山眞男・ポラニーなどとの対比や、八〇年代以降の(近代日本) 民衆運動史研究の潮流とのちがいから説明している。それは、歴史学に固有の場を自身の研究に即して理論的に提示する試みともいえる。このような試みは、日 本近世・近代史にとどまらず、専攻する地域や時代を超えた幅広い研究者の関心に応えるものと思われる。
 本書の論点は多岐にわたるが、近世近代移行期の時代性・全体性に関わるものとして、一八七七(明治一〇)年を「文明化のための国民国家的統合の画期」と 位置づけている点に注目したい(一五頁)。農民闘争と士族反乱が鎮圧されたこの年以降、政治的社会的対抗は、国民国家的公共圏の枠内での対抗という性格を もつこととなる。それは同時に、暴力とコスモロジーの次元がそれぞれ隠蔽、稀釈化されていくことを意味するという。本論の各論稿は、この二つの次元、およ びその転換点に関わる内容となっている。また、補論には、安丸氏の「研究歴のなかに内包されていた論点を現代的な問題状況のなかで思い切って拡張してみた り、自分の発想の由来を自己言及的にのべて」(四一三頁)いる論文が所収されており、「通俗道徳」論の原像も示唆されている。
 以上のような本書の性格から、本例会は、コスモロジー論、暴力の領域をふくめた民衆運動史・社会運動史、固有の時代経験と発想、という三つの視角からの 報告で構成した。安丸氏の思想史研究における観点、分析、アプローチ、史料解読の方法から、固有の時代経験に根をおく発想のレベルまでを検証することによ り、今後の民衆思想史の、さらには歴史学の方法的展望を切り拓くための手がかりにしたいと考えている。
 若尾政希氏には、コスモロジー論の視角からの批評をお願いした。若尾氏は、近世日本における政治常識の形成と解体を全体として検討するうえで、コスモロ ジーの次元における継承と転換に視点をおくことの重要性を提示されている。若尾氏に、本書を批評して頂くことで、コスモロジーの次元へのアプローチがもつ 意義も強調されるのではないかと期待している。
 崎山政毅氏には、民衆運動史・社会運動史の視角からの批評をお願いした。崎山氏は、サバルタン研究の視座から、ラテンアメリカを中心とした「第三世界」 を分析されており、日本史の研究史上とは異なった文脈で安丸氏の著作を論じて頂けると考えている。また、安丸氏は、崎山氏の方法的立場を「アナーキズム的 永久革命論者の認識論」と評したことがあるが(「表象の意味するもの」歴史学研究会編『歴史学における方法的転回』青木書店、二〇〇二)、この点をめぐる 応答も期待したい。
安田常雄氏には、安丸氏に固有の時代経験と発想という視角からの批評をお願いした。安田氏が『<私>にとっての国民国家論』において、このような視角から 西川長夫氏の著作、国民国家論を論じられたことは記憶に新しい(牧原憲夫編、日本経済評論社、二〇〇三)。研究主体に固有の時代経験と発想という視角は、 学問の方法と思想史にたいする安田氏の関心(民間学)と重なっており、本書をはじめとする安丸氏の著作を根底で支えるものに言及して頂けるのではないかと 考えている。
 なお、日本近現代史研究者を中心とした討論会の記録である『<私>にとっての国民国家論』には、安丸氏の研究をめぐって活発な議論が展開されたことも記 されており、民衆イメージや個々の著作の位置づけなど興味深い論点が提示されている。この討論会は、一九九九年度の歴史学研究会全体会「再考・方法として の戦後歴史学」を一つの契機として企画されており、本例会がこれらの企画で提示された論点や問いを再検討する場になればと考えている。会員をはじめ、関心 のある多くの方々の参加と活発な討論を期待したい。


2008年2月18日月曜日

いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来:人間文化研究機構

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。
詳細は[シンポジウムのサイト]をご覧下さい。


統一テーマ「いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来」

人間文化研究機構「ユーラシアと日本」〈権力システム〉班主催シンポジウム(2008年3月1~3月2日)
 場所:京都市国際交流会館
(京都市左京区粟田口鳥居町2-1)

事前申し込みが必要となります。
住所、氏名(ふりがな)、職業または所属機関、団体名など、連絡先電話番号を記入し、葉書またはFaxでお申し込み下さい。申し込み締め切りは2月22日まで(申込先着120名)
申込先
565−8511
吹田市千里万博公園10−1国立民族学博物館管理部研究協力課共同利用係
Fax:06−6878−8479

いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来
【開催趣旨】
 国民国家の相対化が叫ばれて久しい。いうまでもなく国民国家とは、近代において成立したものであり、その成立は作為的であった。フランス革命の際に、何故に国民国家の成立が求められたのかといえば、ブルジョワジーが国王や貴族から政権を奪い取るために、現実には多様な階級や階層、エスニステイーで構成される第三身分なるものの一体性と絶対性を主張し、彼らを一括りに国民として定義づける必要があったからである。ここにフランスは、さまざまな政治文化や国家装置を生み出すことによって、国民なるものの歴史性と現実性と永遠性を不断に説き続けていくことになる。そして以後、国民国家は、近代国家の絶対的なモデルとなり、アジア・アフリカ諸国もその採用を迫られるに至る。
 確かに、国民国家にまつわる様々な政治文化や国家装置は、コピーとペーストが可能であり、どこの国でも国民国家が形成され得る与件を持っているかのようにみえる。しかしながら19世紀から20世紀前半にかけての世界史は、国民国家化を成し遂げて、さらに帝国主義化した国々と、国民国家の形成を意図しつつ、結局はそれに挫折、失敗した国々とによって特徴づけられる。国民国家化とは、為政者たちが作為を意図さえすれば、なし得るというものでは必ずしもない。しかも、同じく国民国家の創設に成功を収めた国であっても、その政治文化や国家装置のあり方にはさまざまな個性が窺われる。
 国民国家は相対化されるべきだが、そのシステムはすぐになくなるわけではない。それどころか、いまやグローバリゼーションへの反動として、再版国民国家化の動きが表れだしており、それは強化されようとさえしている。本国際シンポジウムは、こうした歴史段階にあって、国民国家の歴史的条件や生成、発展の歴史を比較史的に検証し、さらにはその未来をも展望することによって、混迷する世界史を読み説くための資を、いくばくかなりとも提供したいと念じて開催することにしたものである。関心のある方には、ふるって参加して頂き、大いに議論を活性化していきたいと思う。

第1セッション「在来社会の変貌と国民国家の形成」
 国民国家の形成には、在来社会のあり方がある種の規定的働きをしていると同時に、それがひとたび形成されると、在来社会は変貌を強いられていく。本セッションはアジアにおいて国民国家化に成功した日本と、半植民地化に陥りながらも必死に国民国家化を目指した中国を例にとって、その様相を検証することを課題としている。コメントは、アジアの西端で国民国家化に成功したトルコの事例をふまえてなされる。国民国家は果たして、在来社会のどのようなものを前提にしつつ、しかもそれらに変容をしいていくのだろうか?

第2セッション「帝国と国民国家」
 国民国家は往々にして帝国化の願望を持つ。後発の国民国家日本は、まさにその典型であった。しかし他方で、多民族からなる帝国が解体することによって国民国家が誕生する国もある。トルコが格好の事例である。また二重制をとるオーストリア=ハンガリー帝国は、その内部に国民化が進行しつつ、なお第1次世界大戦まで帝国が維持された。本セッションではこの3国を、文化形成の問題を中心に比較することによって、帝国と国民国家がどのような相関関係にあるのかを探っていきたい。

第3セッション「人間の移動から見た国民国家」
 現在グローバリゼーションが進行する中にあって、人々の移動はますます激しくなっている。本セッションはこの現実をふまえ、移民がいかにして国民国家の排他性を現出させていくのか、あるいは逆にいかに移民を取り込みつつ国民形成がなされいくのかについて検証することを課題としている。歴史的な検証としては中国内の移住民と在日朝鮮人の問題を取り上げて考えてみたい。また現在の問題としては、ヨーロッパにおける非正規滞在者の問題を取り上げる。

第4セッション「国民国家の未来を考える」
 国民国家の過去と現在を論じた3つのセッションを受けて、このセッションでは国民国家の将来と可能性について考えたい。発題者のひとりである板垣雄三は、これまで西洋近代のそれをモデルにして考えられてきた国民国家の概念を脱構築するために、その根にあたる中世イスラーム世界にまで立ち返って、この概念の抱えるバイアスや課題を検討する。フランスの社会運動論の第一人者であるアラン・トゥーレーヌは、社会運動を通じて絶えず革新されるものとしての国民国家の新しい概念を構想する。竹沢尚一郎は、国民国家がつねに擬制として内包している文化的同質性の概念がもはや可能ではないこと、それに代わる国民国家の基礎づけが可能かを問う。本セッションでは、国民国家の成立史、国民国家内部の政治と宗教の関係、国家と社会の関係など、国民国家をめぐる主要課題にとり組みながら、国民国家の将来を考えてみたい。  


2007年11月22日木曜日

公文書の管理・保存・公開と歴史学:歴研総合部会例会

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


歴史学研究会 総合部会 第二回例会
公文書の管理・保存・公開と歴史学
情報公開法施行後の現状と課題

日時 2008年112日(土) 13:30~17:30
会場 東京大学本郷キャンパス 法文1号館1F112教室(東京メトロ本郷三丁目駅より徒歩8分)
報告者
瀬畑源氏(一橋大学大学院社会学研究科後期課程・日本現代史)
「情報公開法と公文書管理問題―日本現代史研究者の立場から」
高橋滋氏(一橋大学大学院法学研究科教授・行政法)
「公文書管理体制と歴史研究のあいだ―情報公開法・個人情報保護法との関係で」
石原一則氏(神奈川県立公文書館・アーカイブズ学)
「地方自治体の公文書管理体制―神奈川県立公文書館の場合」(仮)
資料代:300円
主催:歴史学研究会

趣旨文
 歴史学研究会は1995年の総会活動報告において、「従来歴研は歴史学の社会的役割を研究と教育の二本立てで考えてきたが、今後これに加えて史料保存・ アーカイブズ機能の三本立てとする必要がある」(『月報』1995年5月号)という問題提起を行った。「アーカイヴズとは社会の共同記憶装置」(保立道久 「歴史学とアーカイヴズ運動」『アーカイヴズ学研究』No.1 2004年10月)であるとするなら、アーカイブズ問題は、歴史学の基盤の問題であると同時に、市民の歴史意識の形成にとって歴史教育と同等の重要性をも つものとして、歴史研究者が取り組むべき問題であろう。当会は、1997年大会で「史料の管理・保存と歴史学」と題する特設部会を開催したほか、本誌で 「アーカイブズの比較史」(2004年6月号)という特集を組むなどの活動を行ってきた。今回の企画もそれらの延長にある。
 2001年施行の情報公開法(「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」)は公文書の管理・保存・公開に関わる状況を大きく変えることになった。行 政機関は、保有する行政情報を原則として全て公開することを義務づけられたため、昭和天皇とマッカーサーの第1回会談の会議録が公開されるなど、多くの歴 史的に重要な史料が公開されてきた。
 しかし、その一方で、情報公開法施行直前に大量の史料が廃棄されるなどといった文書管理の不備の問題が、当初から大きく取り上げられていた。さらに、法 施行後、各府省庁から国立公文書館等に移管される公文書の量が激減しているだけでなく、そもそも重要な行政文書そのものが作られないといった問題も浮上し てきている(『日本経済新聞』2002年8月11日朝刊)。この問題の根本には、文書移管の決定権を国立公文書館ではなく各省庁が握っていることや、そも そも公文書のライフサイクル全体を統括する法律が制定されていないという問題がある。
 こうしたなか、政府部内において「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」が設置され、現状の問題点を総括し、改善のための提言を行ってい る(2004、2006年)。また「公文書管理法研究会」が公文書の作成から保存までを見据えた法整備の提言を行っているなどの動きがある。
 この公文書の管理・保存・公開の問題は、現在の歴史研究者にとっての歴史史料の公開というだけでなく、将来の歴史研究者のためにどのように史料を残せる のかという問題でもあるということを、深刻に受け止める必要があるのではないか。
 以上をふまえ、今回の総合部会例会では、情報公開法施行後の公文書の管理・保存・公開の問題点を整理し、それに対して歴史研究者が取り組むべき課題を考 えたい。まず、情報公開法施行当初から、歴史研究者として公文書の公開問題に関心を寄せてきた瀬畑源氏に、利用者の立場から国のアーカイブズをめぐる諸問 題を論じていただく。次に、前述の公文書管理法研究会座長である高橋滋氏に、行政法学の見地から、現在の国の公文書管理体制の問題点、それと歴史研究の関 係について個人情報保護の問題とも絡めながら論じていただき、あわせて「公文 書管理法」の構想についてもお話しいただく。さらに、神奈川県立公文書館の石原一則氏から、先進的な内容をもった神奈川県の公文書管理体制や情報公開制度 の経緯や現状をご報告していただくことで、国の公文書管理体制の問題点を地方から照射したい。

「男性史」は何をめざすか:歴研総合部会例会

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


歴史学研究会 総合部会 第一回例会
「男性史」は何をめざすか
その現状と可能性をめぐって
2007年1215日(土):午後1~5時
会場: 大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス2F大会議室(東京メトロ神谷町駅から徒歩2分)
報告者: 阿部恒久兼子歩
討論者: 加藤千香子
主催:歴史学研究会
資料費:300円

趣旨文
 歴史学の「メインストリーム」では書かれなかった女性の経験を記述しようという思いは、女性史研究を登場させた。さらに、性差及びその構築に対する関心 がジェンダー概念の創出へとつながり、「女性性」「男性性」が歴史のさまざまな場面で構築される過程を検証する「ジェンダーの歴史学(ジェンダー史)」が 誕生した。それ以来女性史、ジェンダー史の多くの研究が蓄積され、社会的な認知も深まってきといえる。
 しかし、それに対して男性性/マスキュリニティ、男性史という言葉はあまり市民権を得ているとは言い難い。しかし「慰安婦」問題や男性労働を中核とした 企業のあり方といった、現在関心を集めている問題を考える上でも、またジェンダーの権力関係を男性の視点から考察して、歴史全体の再構築をめざす意味にお いても、これまでの男性性/マスキュリニティを問い直すことは、重要な意味をもつようになってきている。そしてこうした男性性/マスキュリニティの規範と 実態を探るためには、それらがどのような過程で構築されてきたのか歴史的に考察することが求められているのである。
本例会ではこうした視点に立って、「男性史」の現在と将来、その可能性というものを検討してゆきたいと思う。「男性史」の対象や方法とは何なのか、「男性 史」は女性史、ジェンダー史とはどこがどう変わってくるのか、またそれぞれの間の関係とはいかなるものなのか、さまざまな見解が存在する中で、活発な議論 を通して「男性史」の可能性というものを探ってゆきたい。
そして今回は特に、先に刊行された阿部恒久・大日方純夫・天野正子編『男性史』第1~3巻(日本経済評論社、2006年)を男性性/マスキュリニティを議 論してゆく際の材料、土台として取り上げることとする。しかし、単にこの『男性史』の批評にとどまらず、男性性/マスキュリニティとは何か、今、なぜ「男 性史」ついて取り上げるのかといったことを議論してゆくことを主眼におく。そこで報告者の阿部恒久氏には、『男性史』の編者として同書の企画の趣旨、めざ そうとしたことについ話していただく。さらに国際比較の視点から、もう一人の報告者の兼子歩氏には、アメリカ史における男性史研究の現状と課題といったこ とを紹介していただく。各時代、各地域ないし国家において、いかに男性性/マスキュリニティといったものが構築されてきたのかということを検討し、それぞ れの歴史的過程の多様性と共通性を抽出してゆくことに よって、男性性/マスキュリニティの多様な現実と規範が考察できるのではないかと考えるからである。またその分析の際には、性に関するさまざまな既存概念 の再検討をめざすクィア理論の視点にも留意したい。そして討論者の加藤千香子氏には、日本における男性史研究の現状と課題とその中での『男性史』刊行の意 味について話していただき、さらに男性史研究の意味と可能性についても触れていただく。

2007年11月8日木曜日

現代都市を生きる感性と歴史学:東京歴史科学研究会

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


東京歴史科学研究会
2007年12月「歴史科学講座」のおしらせ

*絶えず社会との緊張関係を意識しつつ、研究の新領域を切開してきた成田氏に、現在の問題群と最新の展望をめぐって講演していただきます。

【講 演】成田龍一氏 (日本近代史/日本女子大学教授)
     「現代都市を生きる感性と歴史学 −戦後歴史学と都市史研究−」
【日 時】2007年12日(土)14:00〜(開場13:30)
【会 場】立教大学(池袋キャンパス)5号館5307教室(3階)
【参加費】600円
【連絡先】東京歴史科学研究会
     〒114-0023 東京都北区滝野川2-32-10-222(歴史科学協議会気付)
      TEL/FAX 03-3949-3749
      e-mail torekiken@gmail.com
詳細は本会ウェブサイトにも掲載いたします(http://wwwsoc.nii.ac.jp/trk)

2007年11月6日火曜日

「医療の国民化」を考える:民衆史研究会大会シンポ

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。


民衆史研究会2007年度大会シンポジウム
「医療の国民化」を考える
——現代史のなかの医療と民衆

<報告>
中村 一成(一橋大学大学院)「戦前・戦時の都市医療」(仮)
鬼嶋 淳(佐賀大学)「占領期日本における医療運動の展開」(仮)

<コメント>
高岡 裕之(関西学院大学)

日時 2007年121日(土) 総会12:30〜 大会13:00〜

会場 早稲田大学文学部 36号館6階 681教室

参加費:300円 ※終了後、懇親会あり

[詳細情報]民衆史研究会

<開催趣旨>
 グローバル化とそれに対応した新自由主義政策が進行している昨今、“福祉国家”の変容・解体が様々なレベルで議論されている。日本社会においても、年金制度や健康保険制度のゆきづまりが問題化されているのは周知の事実である。こうした“福祉国家”の大きな変貌を前にして、近年これを学問的に再検討しようという動きが強まっている。「福祉国家」と名のつく書籍を探してみれば、社会政策や社会福祉の研究はもちろんのこと、社会学や歴史学の分野においても、同問題に対する関心が高まりを見せていることが分かるであろう。国民健康保険をはじめとする医療の問題は、そのなかでも1つの焦点をなしている。
 近年の医療制度改革の流れのなかで、国家が国民すべてに医療を受ける権利を保障するという従来の政策枠組はその根底から揺るぎつつあるが、そもそも日本において、医療の受け手が国民的規模に拡大していくこと——本シンポジウムではこれを「医療の国民化」と呼ぶことにしたい——が進行したのは、第一次世界大戦後以降、なかんずく1930年代から40年代にかけてのことであった。国家総力戦体制の構築過程で、国民健康保険法(1938年)、国民医療法(1942年)といった重要な法律が公布・施行され、「健民健兵」育成のため国民に“健康”の義務を課し、そのための監視体制を全国的に網羅することが国策として目指されたのである。こうした「医療の国民化」は、“人的資源”を国家目標に合わせて動員するためのひとつのテクノロジーであり、人々を“有用性”の基準で峻別・序列化する機能を担っていた。
 戦後社会においては、“健康”は権利としての位置づけ(憲法25条)を得て、医療制度の受益者は格段に広がっていく。しかし同時にそれは、健康(健全)/不健康(不健全)という戦前以来の価値体系を引き継ぎつつ、“健康”の規格をくりかえし再生産していく過程でもあった。とりわけたびたび行われる政府や民間の健康キャンペーンは、個人が選び取っているかのように見える“健康”のための努力が、国家的な要求と密接な関係にあることを示唆するものであった。
 このように概観してくると、戦間期以降の医療の普及の歴史は、常に国民国家への統合や動員と分かちがたく結びついていたことが分かる。しかし、こうした理解には一方で大きな疑問も残る。そもそも医療制度の充実というのは、民衆の切なる願いだったのではないか。社会政策史の相澤與一は、戦時期における国民皆保険化の状況について、「医療窮乏に苦しむ農民たちの痛切な必要と要望を反映し、それらが組織され吸収された側面もあったはずである」と指摘している。「医療の国民化」は、国民統合の契機としての側面を持ちつつも、同時に、民衆の切実な医療要求との連環の中に位置づけられるものなのではないだろうか。とするならば、民衆の運動や意識状況の側に足場を置いて、もう一度「医療の国民化」の様相を捉え直していくことも必要であろう。
 そこで本シンポジウムでは、これまで制度史、政策史的な観点で捉えられることの多かった1920年代から1950年代にかけての時期の「医療の国民化」について、地域社会や社会運動、民衆の生活実態といったファクターに即して考えてみたい。そうすることで、動員や規律化といった概念には単純には収斂しえない、医療と民衆の関わり方の具体像を描き出せるのではないかと考えている。
本シンポジウムがポスト“福祉国家”を見据えていく上で、何らかの手がかりとなれば幸いである。