2008年7月16日水曜日

アジア民衆史研究会2008年度第1回シンポジウムのご案内

 アジア民衆史研究会より、下記の企画のご案内をいただきましたので、掲載いたします。

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アジア民衆史研究会2008年度第1回シンポジウムのご案内



「警察」をめぐる

ポリティクス




東アジアにおける民衆の世界観 (8)

日時:2008727日(日)、14時から


報告:
 愼蒼宇 「近代朝鮮における警察と民衆」
 大日方純夫 (題目未定)


会場:早稲田大学染谷国際記念会館
東京都新宿区西早稲田2-3-4
早稲田駅(地下鉄/東西線)出口1より徒歩10分
※AVACO(財団法人基督教視聴覚センター)となり


2008年度アジア民衆史研究会では、「「警察」をめぐるポリティクス」を年度テーマに掲げ、「警察」と民衆が接触するミクロな範囲を対象とし、そこにおける権力と民衆との複雑な関係性を議論することで、近世・近代移行期における民衆の世界観の一端を明らかにしたい。

 これまでアジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げてきた。そこでは、空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。

 このテーマのもと、「君主観と主体の形成」(2001年度)、「他者をめぐる空間認識」(2002年度)、「他者をめぐる空間認識Ⅱ」(2003年度)、「移動・接触からみる空間認識」(2004年度)、「ウェスタンインパクトはいかに語られたか」(2005年度)の年度テーマを掲げて議論を重ねてきた。

 しかし、これらの議論は最終的には国民国家論に還元されてしまうだけではないのか、という課題が生じてきた。そこで、人々の生活世界における身近で微細な権力・政治の闘争をポリティクスとし、ある「場」にあらわれるポリティクスに注目して、そこから民衆の思考や行動をみることとした。2006年度は「死をめぐるポリティクス」を年度テーマに掲げ、死者の葬り方や墓地のあり方などに対し、近世・近代移行期の権力が多様なかたちで介入し、地域社会や民衆との相克を孕みつつ、新たな変容を生じさせていく様相を明らかにした。ついで2007年度は「老いをめぐるポリティクス」を年度テーマとし、「老人」に対する権力の関与だけではなく、「老い」やその対極にある「青年」を規定する社会的背景をも含めた議論を行なった。

その結果、「場」には、社会や大小の権力の介入があり、単なる対立に留まらない権力と民衆との様々な関係性を見出すという成果を得ることができた。その一方で、そこにみられる権力の多様さゆえに、権力と民衆との関係性をめぐる論点が広がりすぎたため、議論の集約という点では課題が残された。

そこで2008年度は、民衆世界に介入する様々な権力のうちの一つである「警察」を主たる検討対象として設定することとした。ここでいう「警察」は、近代国家制度としての警察に限定せず、広く治安維持権力一般を指すものとする。

従来、警察は民衆と対立する存在としてのみ位置付けられる傾向にあった。しかし、近年の研究では、権力と民衆の関係性を問い直すものがみられる。近代の日本においては、警察制度と民衆が接触するなかで「警察の民衆化」や「民衆の警察化」という事態が生じていたことが指摘され、植民地化過程の朝鮮においては、植民地権力が植民地民から憲兵を採用し、そのことが権力側・民衆側双方に矛盾をもたらす状況が指摘されている。

前近代の治安維持権力に関する研究でも、対立ばかりではない民衆との関係性が指摘されている。例えば近世の日本では、民衆を取り締まる側と取り締まられる側の人間が同一であることがしばしばみられ、農兵などのように民衆が治安維持権力を形成する事例が知られている。また中国史の研究においては、清朝期の江南地域で民衆が国家の治安維持権力を地域社会に招き入れて治安維持の実現をはかっていたことが明らかにされている。このようにしてみると、抵抗と抑圧の図式のみに回収されない「警察」と民衆との関係性を描くことが現在求められているといえよう。

「警察」をめぐるポリティクスをみることは、「警察」研究を進展させるだけではなく、民衆史研究にとっても大きな意味があろう。なぜなら、民衆の生活世界を対象としたミクロな視点で「警察」と民衆の接点をみることによって、そこにあらわれる民衆と権力の複雑な関係性を描き出し、民衆の世界観の新たな側面を浮かび上がらせることができると考えられるからである。

そこで2008年度第1回シンポジウムでは、朝鮮の警察や憲兵についてご研究されている愼蒼宇氏と、日本近代の警察史をご研究されている大日方純夫氏のお二人にご報告いただくことにした。
活発な議論を期待する。


2008年6月5日木曜日

早稲田大学文学学術院シンポジウムのご案内

 早稲田大学文学研究科の日本近現代史ゼミより、企画のご案内がありましたので、ここに掲載いたします。

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早稲田大学文学学術院公開シンポジウム

歴史学にもっと論争を! 
――安丸良夫『文明化の経験』をめぐって――

日時:614日(土) 13:00
場所:早稲田大学戸山キャンパス 36号館682教室 
報告:安丸良夫氏、深谷克己氏、大日方純夫氏
司会:金井隆典氏、檜皮瑞樹氏
主催:早稲田大学文学学術院日本近現代史ゼミ・近世史ゼミ・政治学研究科梅森直之ゼミ
ビラ:http://www.waseda.jp/bun-jlc/yasumaru/yasumaru3b.jpg
サイト:http://d.hatena.ne.jp/ummr/20080517

【趣旨文】

本企画の趣旨

 昨年発行された安丸良夫氏の著作、『文明化の経験――近代転換期の日本』(岩波書店・2007)は、氏が80年代に発表した論稿を中心としているが、新たに書き下ろされた序論と現代の問題状況を考察した補論を加えることで、既出の論文に新たな意味を付与し、現在の地点からの「近代転換期の日本」の再解釈と総体的な理解を試みた積極的な問題提起の書となっている。
 
 周知のように、1990年前後を画期として、歴史学の方法に対するさまざまな懐疑的見解が提出されている。歴史学の言説の政治性や権力性が繰り返し指摘されるとともに、〈対象とする時代の全体像を描き出す〉というこれまで歴史研究者が目標と定めてきた行為そのものについても、その原理的な不可能性や叙述の受け手に対する抑圧的側面が強調されてきた。歴史研究を取り巻くこのような状況が、若手研究者たちの間に「方向感覚の喪失」とも言うべき気分を醸成し、研究の個別分散化や浮遊化を助長しているという指摘もある[1]

 安丸氏も、こうした歴史学批判の動向やそれらの主張が拠り所とする諸思潮を積極的に吸収しており、それは、近代歴史学を近代世界の自己意識として規定していることによっても示されている[2]。しかし、こうした理解に立ちながら――そして、自身の内面に暗い虚無感を潜ませながら[3]――も、あくまで歴史学のディシプリンを堅持し、大胆な歴史像の提示を行っているところに安丸氏の立場が現れている。その意味で『文明化の経験』は氏の現在の歴史学に対する挑発の書と言うことができよう。今回、私たちが本シンポジウムを企画したのは、歴史学のゼミナールに所属する――「方向感覚の喪失」を指摘される――学生として、こうした安丸氏の問題提起をとりわけ深く考えるべき立場にあると考えたからにほかならない。
 
 そのための補助線とすべく、本シンポジウムでは、安丸氏からの論争的な問いに対し、研究対象の近いお二人の方から応答をいただくことにした。
 
 大日方純夫氏について安丸氏は「民権期研究正統派」と位置づけた上で、その所説に批判的な検討を加えている[4]。安丸氏の大日方批判の眼目は、いわゆる「民衆史派」からする「民権派」批判という主旨ではなく、むしろ「民権派対民衆史派」という対抗軸自体の有効性に疑義を呈し、より豊かな歴史像の構築に向けての方法を提起するところにあると思われる。ことは歴史理論をいかに深めるかということに関わっており、したがって、両氏の対立点は単に個別の実証的レベルではなく、対象へ切り込むアプローチの仕方や、さらには日本の近代に対する全体的な評価にまで及ぶものと思われる。
 
 一方、深谷克己氏と安丸氏とは、共に民衆史研究の草創に立ち会い、長らくこの領域をリードしてきた間柄にあり、大きな見解の相違はないように思われる。しかしながら、近世社会における法的支配のあり方に注目し、その中での民間社会の自立化を重視する深谷氏と、社会秩序の背後にある宗教的心性や暴力の存在に注意を払う安丸氏との間には、近代の市民社会に対する観方や逸脱的契機の捉え方などを含め、歴史観の基本的な部分に関して看過しえない対立点が存在すると考えられる。
 
 深谷氏が「分野史でなく、全体史の視点が歴史学の存在理由である」と述べ[5]、大日方氏が歴史学の「現在の現実に足場を据えて過去を未来に架橋する」役割を繰り返し強調していることからも分かるように[6]、現在との緊張関係の中で歴史の全体像に迫ろうとしている点で、三氏は大きな目的を共有していると言える。そうであるからこそ、『文明化の経験』の中で安丸氏が提示した論点を介して、三氏の歴史観の共振と相克を孕んだ関係をあらためて議論の主題とすることで、その緊張関係の中から歴史学の次の段階を展望する手掛かりが見出せるのではないかと考えている。

 現在の歴史研究が方向感覚を喪失しているとするならば、その恢復の道は、個別的な実証研究に埋没することでも、出来合いの歴史観をそのまま受容することでもなく、歴史研究者の一人一人が、過去と現在との間で問題意識と研究方法を絶えず鍛えなおし、そうして得られた歴史像を互いにつき合わせ、論争するという実践を通してこそ開けるものであろう。今回の試みがそうした気運を励ますことに多少なりとも貢献できれば幸いである。

実行委員会  


[1] 高岡裕之「日本近現代史研究の現在――「社会」史の次元から考える―」(『歴史評論』693・2008)。
[2] 安丸『文明化の経験』、13-14頁。
[3] 同上、414頁。
[4] 同上、22-24頁。
[5] 深谷克己『綱引きする歴史学』(校倉書房・1998)、 54頁。
[6]大日方純夫『近現代史考究の座標――過去から未来への架橋』(校倉書房・2007)。


2008年6月2日月曜日

2008年度歴研近代史部会大会報告批判会

 歴研近代史部会では、下記の要領で大会報告批判会を開催いたします。
 お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。

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2008年度近代史部会大会報告批判会

日時:629日(日)14:00
場所:早稲田大学早稲田キャンパス26号館302教室
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html

タイムスケジュール(仮):
14:00~14:10 部会の主旨説明
14:10~14:40 大会報告批判(1) 柴田暖子氏
14:45~15:15 大会報告批判(2) 黒川みどり氏
15:15~15:30 休憩
15:30~15:50 リプライ(1) 貴堂嘉之氏
15:50~16:10 リプライ(2) 松田京子氏
16:10~16:30 休憩
16:30~17:30 全体討論

2008年6月1日日曜日

東京歴史科学研究会より企画のご案内

 東京歴史科学研究会の佐藤美弥さんより、次の2つの企画のご案内をいただきましたので、お知らせいたします。くわしくは、東歴研のウェブサイトをご覧ください。

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2008年6月 「入門講座」
【講演】池上裕子氏(日本中世史・成蹊大学) 「中近世移行期を考える」
【日時】2008621日(土) 14:00~(13:30開場)
【会場】立教大学(池袋キャンパス)5号館5224教室
【参加費】600円
【講演概要】
「近年の中近世移行期の論点のひとつに、いわゆる「移行期村落論」がある。勝俣鎮夫氏の村町制論・村請論を契機に議論が活発化した村落論では、「自力の村」論を中心とした研究がひとつの潮流を形づくっている。その結果、まとまっ た形でこれまでの史料の解釈・位置づけに大きな変化がもたらされているのが北条領に関する村・戦国大名関係論であろう。そこで、北条領国を中心として、移行期の「村」を、「郷」や地侍に焦点を当てて検討してみることとする。」

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2008年「7月例会」 
「フィールドワーク 戦争の展示をみる―東京大空襲・戦災資料センター、しょうけい館―」

【期日】2008712日(土)
【集合】東京メトロ半蔵門線住吉駅 B1出口 12:30集合
【コース】
13:00~ 東京大空襲・戦災資料センター見学
      (江東区北砂1-5-4) 
      http://www.tokyo-sensai.net/

16:00~ しょうけい館見学
      (千代田区九段南1-5-13共同ビル九段2号館)
      http://www.shokeikan.go.jp/

※入館料・移動費をご負担いただきます。
※当日は東京大空襲・戦災資料センターの館員の方から展示のご説明をいただく予定です。

2008年5月31日土曜日

2008年度歴研大会の様子

 遅ればせながら、5月18日に行われた、2008年度歴史学研究会大会近代史部会の様子をご紹介いたします。

 本年度のテーマは、「「分類」のポリティクス――近代的「人種」の再検討」でした。





 趣旨説明をする千代崎運営委員。趣旨文は、こちらをご参照ください。





第1報告は、貴堂氏。

「『人種化』の近代とアメリカ合衆国――ソシアビリテの交錯と『国民』の境界」







 お昼休みをはさんで第二報告は、松田氏。

 「植民地支配下の台湾原住民をめぐる『分類』の思考と統治実践」








 つづいて、池田氏によるコメントが行われました。








 同じくコメントの冨山氏。










 当日はのべ200名弱の参加者があり、活発な議論が交わされました。どうもありがとうございました。








 司会は、運営委員の佐野・新井が担当しました。



2008年5月20日火曜日

中東学会24回大会公開シンポジウムのお知らせ

中東学会よりご案内をいただきましたので、ここに掲載いたします。


中東学会24回大会公開シンポジウム
「パレスチナ問題と日本社会」
(千葉大学大学院人文社会科学研究科、日本中東学会共催)

 1948年のパレスチナにおける「ナクバ」(=アラビア語で「大破局」の意。イスラエル建国、第一次中東戦争勃発により大量のパレスチナ難民が発生)から、60年が経過しました。

 この節目の年に、パレスチナ問題の歴史を振り返り、同時に日本社会とパレスチナ問題との関わり方を検証する、下記のようなシンポジウムを開催致します。どうぞ奮ってご参加下さい。

日時 24日(土)13:20~17:15

場所 千葉大学 西千葉キャンパス けやき会館大ホール

①基調講演
広河隆一「パレスチナのNAKBAから60年」
板垣雄三「日本問題としてのパレスチナ問題」

②リレー討論=臼杵陽、藤田進、奈良本英佑、立山良司、平山健太郎、田中好子、岡真理、田浪亜央江

(入場無料)

連絡先=千葉大学文学部 秋葉研究室内 中東学会実行委員会事務局 
TEL&FAX:043-290-3630
james2008@L.chiba-u.ac.jp
http://wwwsoc.nii.ac.jp/james/meetings/docs/24th/annual24.html

2008年4月27日日曜日

2008年度 歴史学研究会大会 近代史部会のご案内

近代史部会大会を開催します。みなさまのご参加をお持ちしております。

歴史学研究会 近代史部会 大会

「分類」のポリティクス

──近代的「人種」の再検討

日時:2008年518日(日)、10:30〜

会場:早稲田大学早稲田キャンパス
[歴史学研究会の大会ページ]をご参照下さい。

報告者:

貴堂嘉之氏「『人種化』の近代とアメリカ合衆国-ソシアビリテの交錯と『国民』の境界-」
松田京子氏「植民地支配下の台湾原住民をめぐる『分類』の思考と統治実践」


コメンテーター:池田忍氏、冨山一郎

司会:佐野智規(近代史部会運営委員)、新井正紀(近代史部会運営委員)

時程:

10:30 趣旨説明
10:40 報告(貴堂嘉之)
11:40 休憩
14:10 報告(松田京子)
15:10 休憩
15:30 コメント(池田忍)
15:50 コメント(冨山一郎)
16:10 休憩
16:20 リプライ
16:40 討論
17:40 終了


【2008年度大会近代史部会主旨文】

「分類」のポリティクス 近代的「人種」の再検討

 今年度の近代史部会では、「人種」をテーマとして取り上げ、「人種」が構築された歴史的・社会的状況とその後の展開を検討することで、「分類」することにどのようなポリティクスがあるのかを論じる。「人種」が身体的特徴を基にした単なる区別ではなく、差別と偏見を拠りどころに「人種」間の優劣を提示するために社会的に構築されたものであることは、これまでも明らかにされてきた。また、「人種」差別的であるとされた表現の禁止や、アメリカにおけるアファーマティブ・アクション廃止の動きに見られるように、今や「人種」差別はなくなりつつあり、差別されてきた者を「優遇」するのは逆差別であるとの主張もなされている。しかしながら、日本、アメリカ、ヨーロッパなどにおいて「敵」あるいは「他者」とみなされた人々への中傷・暴力といった「人種」差別は、新たな言説を伴いつつ、より複雑な形で再生産されている。こうした状況に対し、近代史部会では「人種」をめぐる近年の研究動向を参照し、そこで得られた分析視角を導入することで、これまで行われてきた/現在行われている「分類」の意味自体を批判的に検討することを目指す。
 ホワイトネス・スタディーズは、差別や「人種」問題を「マイノリティ」の側のみに焦点を当てて扱うことの限界性を指摘し、これまで「普遍的」な存在とされ観察の対象となることのなかった「白人」も、実は歴史的・社会的に構築された存在であったことを明らかにしている。ここでは、身体的特徴によって「白人」が定められているのではなく、「白人」という言葉によって示されているものも、地域や時代によって変化することが検証されている。また、「人種」についての学際的な研究では、「人種」が構築・再生産されている背景には、しばしば、ジェンダーや階級といった他の「分類」と相補的関係が存在することが指摘されている。この視角は、帝国と植民地において民族・階級・ジェンダーなどの「分類」が、複雑な権力構造の中で交錯していたことを指摘するポスト・コロニアル研究と共有されるものである。これらの研究においては、「分類」のポリティクスを認識するために、それぞれの「分類」の間の矛盾や共犯関係を検討することの重要性が提示されている。
 以上のような分析視角を基に、様々な近代的「分類」を脱構築する視点を提示するために、近代史部会では「人種」について考察する。近年の部会の問題意識とも関連させながら、以下の3つの論点を提示する。
①「人種」の近代性を検討する。前近代に各地で行われていた「分類」とは比べものにならないほど、体系化、グローバル化、身体化された「人種」概念は、どのような歴史的・社会的状況で必要とされ、また何によって強化されてきたのであろうか。国民国家と植民地という近代的状況で、「人種」の「分類」が行われた意味を問い直していく。
②「人種」と他の「分類」との関係性を論じる。前述したように、「人種」と他の「分類」は相補的関係にあることによって、曖昧で可変的でありながらも政治的に機能してきた。「人種」だけに着目することでは捉えきれない「分類」の権力性を認識することを目指す。
③劣った「人種」として「分類」された人々の反応に焦点を当てる。近年の近代史部会は、民衆あるいは「マイノリティ」とされた人々が権力に対して、どのような抵抗や交渉を展開したかに注目している。「人種」をめぐってもこうしたせめぎ合いが行われた。劣位に置かれた人々が、「われわれ」と「彼ら」の間の境界に対してどのように反応したのか、またその結果がどのようなものであったかを明らかにし、それぞれの人物・集団の反応を支えた論理を分析する。
 貴堂嘉之氏「『人種化』の近代とアメリカ合衆国―ソシアビリテの交錯と『国民』の境界」では、「近代」を読み解く歴史的視座として、「人種」がいかなる可能性を持っているのかを報告していただく。「人種化の時代」として近代を捉え、そこでアメリカ合衆国が果たした歴史的意味を検証する。アメリカ合衆国の国民化は、つねにホワイトネスを核にした人種化と相補的な関係を結びながら展開してきた。この国民化と人種化の歴史を、ソシアビリテ(社会的結合)の観点から、階級、ジェンダー、エスニシティとの相関関係に着目しつつ「国民」とは誰かをめぐる包摂と排除の歴史を分析すると同時に、近代におけるヒトの移動の中心としてのアメリカ合衆国が、この「人種」の近代に果たした世界史的な意味についても検証する。
 松田京子氏「植民地支配下の台湾原住民をめぐる『分類』の思考と統治実践」では、日本による植民地支配下の台湾において、人口数的にも社会的位置といった点からも圧倒的なマイノリティであった台湾原住民に焦点をあてて報告していただく。彼ら・彼女らを「分類」し、支配しようとする思考と実践が、具体的にどのような形で展開され、どのような暴力性を孕んだのかを考察する。
 両氏の報告に対し、池田忍氏と冨山一郎氏からコメントをいただく。多くの方々に参加していただき、活発な議論の場となることを期待する。
(千代崎未央)

[参考文献]
貴堂嘉之「未完の革命と「アメリカ人」の境界―南北戦争の戦後50年論」川島正樹編『アメリカニズムと「人種」』、名古屋大学出版会、2005年。
松田京子『帝国の視線』吉川弘文館、2003年。
ロンダ・シービンガー『女性を弄ぶ博物学 ―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?』工作舎、1996年。