2015年5月21日木曜日

2015年度歴史学研究会大会近代史部会(2015年5月24日)のお知らせ

歴史学研究会近代史部会では、2015年度大会において、「戦後70年からの問い直し象徴天皇制・植民地支配の未清算・植民地認識」をテーマに、河西秀哉氏、太田修氏、佐藤量氏に報告を依頼しました。三氏の報告に対して、コメンテーターとして、日本近現代史から吉田裕氏と比米関係史から岡田泰平氏にご発言をいただきます。

ご多忙中とは存じますが、お誘いあわせの上ご参加下さいますようお願い申し上げます。


2015年度歴史学研究会大会近代史部会

戦後70年からの問い直し―象徴天皇制・植民地支配の未清算・植民地認識―

日時:524日(日)[大会第2日目]930分~
会場:慶應義塾大学三田キャンパス http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
会場整理費:一般1800円、会員1500円、学生(修士課程まで)1000円。(両日とも参加できます)

*他部会の報告テーマは下記URL(歴研本部のHP)をご参照下さい。
http://rekiken.jp/annual_meetings/2015.html


≪報告者≫ 
河西秀哉氏「戦争責任論と象徴天皇制」
太田修氏 「日韓財産請求権経済協力構想の再考」
佐藤量氏 「満洲経験の記憶と変遷」


≪コメンテーター≫
吉田裕氏
岡田泰平氏


≪主旨説明≫
 本年度の近代史部会は、「戦後70年からの問い直し─象徴天皇制・植民地支配の未清算・植民地認識─」と題し、戦後の日本が解決することなく現在まで積み残してきた問題に焦点を当てることで、戦後史に新たな地平を拓くことを試みる。
 昨年、第二次安倍政権は、特定秘密保護法の成立や集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定を強行した。歴史学研究会では、このような状況に対し声明を出す一方、『歴史学研究』920921号(7・8月号)において「「戦後日本」の問い方と世界史認識」と題した特集を組み、1213日にはシンポジウム「歴史学の課題としての戦後日本/平和主義」を企画し、戦後日本をめぐる問題を世界史的な動向のなかで考察し、その問い方を鍛え直す必要性を提起した。
 当部会では、このような課題を重く受け止め、戦後日本を問い直すためのキーワードとして、象徴天皇制、植民地支配の未清算、植民地認識を掲げる。これらは、敗戦後、日本が連合国による占領を経て、サンフランシスコ講和条約の締結により、冷戦体制下の国際社会に復帰するなかで看過されてきた問題である。天皇を国家の頂点に置いた天皇制国家における支配構造は、戦後の民主化のもとで変革されたが、日本はこれらが抱えた矛盾や問題を新たな統治構造のなかに内包し、正面から向き合うことはなかった。そうした戦後日本のあり方は、象徴天皇制の展開過程や植民地支配を受けていた地域との関係性においてこそ浮き彫りとなる問題と言えよう。
 本年は、戦前の日本がアジア・太平洋戦争で敗戦して70年目の節目にあたる。当部会としては、近年進展してきた同問題に対する政治史、社会史・思想史、外交史、個人史的な歴史研究の成果に基づき、戦後日本を改めて問い直す好機と捉え、以下三つの論点をもとに議論を展開していく。
 第一は、象徴天皇制の問題である。敗戦後、新憲法の施行によって象徴天皇制は成立した。敗戦を経てもなお日本は天皇制の存続を選択し、人びともそれを支持した。しかし、「象徴」という曖昧な概念のもとで形成と定着の過程を辿った象徴天皇制には、戦前のイメージを引きずる昭和天皇の存在が重くのしかかり、それは、天皇の戦争責任論や退位論の発生に現れた。そうした象徴天皇制の展開と昭和天皇をめぐる議論が交錯する時期を検討することで、戦後の日本社会の問題に迫りたい。
 第二は、未清算となっている植民地支配の問題である。日本の戦争犯罪は極東国際軍事裁判で裁かれたが、台湾や朝鮮などの植民地支配の問題は追及されなかった。当部会は、2011年度に「植民地責任」論の研究成果を引き継ぐ形で「植民地認識を問い直す」を企画した。そこでは、植民地支配を受けた社会の側がどのような変化を余儀なくされたのかを検討し、植民地主義の継続を不可視化する構造の問題に迫った。本年は、制度的な支配が終わった脱植民地化の過程においても植民地支配の問題が未清算のまま残り続けた事実を重視し、講和条約締結の後に植民地支配の清算のあり方をめぐって展開された日韓国交正常化交渉の過程を事例に解き明かす。
 第三は、人びとの植民地認識の問題である。敗戦に伴う帝国日本の勢力圏の変動は、帝国内で暮らしていた人びとに再び移動をもたらした。その一つが引揚げであり、それは戦争に翻弄された人びとの悲劇の歴史として広く記憶され、同時に植民地に対する加害者認識の欠如の問題をも包含するものであった。しかし、これまで引揚者が日本社会にどう包摂され排除されていったのか、そのなかで植民地での経験をどう記憶し語ったのかは課題として残り続けた。引揚者の記憶の語りは、戦後の日本社会における人びとの植民地認識の実相にも迫りうるものであり、それを満洲引揚者の事例から見ていく。
こうした観点から本年度は、歴史学から河西秀哉氏と太田修氏、歴史社会学から佐藤量氏に報告をお願いした。
 河西氏「戦争責任論と象徴天皇制」は、敗戦後、「象徴」へと天皇制が変化する中で戦争責任論・退位論はいかにその制度の形成と関係があったのか、また象徴天皇制の展開過程において「象徴」の内実にどのような影響を与えたのかを、1960年代までを射程に入れ、それぞれの時期の戦争責任論・退位論と象徴天皇制の関係性を論じる。
 太田氏「日韓財産請求権経済協力構想の再考」は、1965年に締結された日韓条約がなぜ日本の植民地支配を清算するものとならなかったのかを、第5次、第6次会談における日本政府の認識や方針を中心に検討する。主に、財産請求権問題が経済協力により処理されたことに注目し、日本政府内で経済協力構想が方針として確定されていく過程を、欧米の植民地支配処理との連関性に注意を払いつつ論じる。
 佐藤氏「満洲経験の記憶と変遷」は、戦後の日本社会において満洲引揚者が置かれた状況と、当事者による満洲表象の変遷について考察する。とりわけ、継続的に記憶を書き残してきた満洲都市部の学校出身者らに注目し、彼らが戦後に記述してきた『同窓会誌』の分析から論じる。
 三氏の報告に対しては、日本近現代史から吉田裕氏、比米関係史から岡田泰平氏にコメントをお願いした。当日の活発な議論を期待したい。(舟橋正真)

[参考文献]
河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』(講談社〔選書メチエ〕、2010年)。
太田修「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」(李鍾元ほか編『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ 脱植民地化編』法政大学出版局、2011年)。
佐藤量「植民地都市をめぐる集合的記憶─「たうんまっぷ大連」の形成プロセスを事例に─」(『Core Ethics』第4号、2008年)。
永原陽子編『「植民地責任」論─脱植民地化の比較史─』(青木書店、2009年)。


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