2012年6月6日水曜日

2012年度大会の様子

2012年度歴史学研究会大会は5月27日(日)に行われました。
近代史部会の様子を紹介します。


趣旨説明を行う藤田怜史運営委員


報告① 畑野勇氏


コメント① 日野川静枝氏


報告② 隠岐さや香氏


コメント② 崎山直樹氏


全体討論の様子①


全体討論の様子②


会場の様子①


会場の様子②


司会は運営委員の武田祥英と酒井晃が担当しました。

活発に議論が交わされ、大変な盛会となりました。


たくさんのご来場、ありがとうございました。


3・11後の歴史的地平―科学・技術、国家、社会-

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれにともなう大津波,そして東京電力福島第一原子力発電所の事故は,科学・技術に関して相反するかのように見える二つの反応を惹起するものであったといえよう。すなわち,一方では科学・技術の「進歩」に対する不安や懸念,他方ではそのさらなる「進歩」の希求である。
 科学・技術への不安は,とりわけ福島第一原子力発電所の事故に起因するものであった。その事故は原子力に対する茫漠とした恐怖を明確に現実化し,その結 果原子力発電への批判的な声が高まり,それを可能とした科学・技術の「進歩」への不安が生じたのである。さらに,原子力の専門家として原子力行政に関わってきた科学者・技術者の信用失墜は著しく,対照的に原子力発電に批判的な科学者が脚光を浴びるという光景が見られた。原子力発電に対する,科学者個人の態度そのものが問題とされたのである。
 しかし原発事故が改めて浮き彫りにしたのは,科学者や技術者個人の問題よりも,大学を含む諸種の研究機関,企業,国家,社会の関係の内に横たわる構造的な問題であった。すなわち,原子力発電の開発という国策遂行のなかで,国家,大学,企業などが一体となってそれを推進し,内外からの批判がなされにくい状況がつくられていたのである。原発事故が惹起した科学・技術への不安,原子力行政に関わってきた科学者や技術者への不信も,こうした構造が抱える問題に起因している。
 他方,震災と津波,原発事故は,科学・技術のさらなる「進歩」を希求する声も生んだ。すなわち,地震予知,津波の早期警戒網の確立,10メートル超の津 波を防ぐ大規模な堤防整備などの防災・減災の分野や,原子力発電所の安全向上,あるいは脱原発を進めた場合の代替エネルギー開発などにおいて,さらなる科 学・技術の革新が求められている。この面においては,科学・技術を取り巻く政治的・社会的構造が問題視されているようには思われない。むしろ,科学・技術の「進歩」を効率的に推進するための,新たな研究体制の構築や重点的資金配分が期待されているのである。
 このように,2011年3月11日の大震災と原子力発電所の事故によって,科学・技術を取り巻く構造が問題化されながらも,その根本的再考にはいたって いない。むしろこの二つの測面は科学・技術と国家や社会との関係の根深さを明らかにしており,その解明は歴史学の課題である。そこで2012年度歴史学研 究会・近代史部会大会では,「3・11後の歴史的地平──科学・技術,国家,社会──」というテーマを掲げ,科学・技術,科学者・技術者,研究機関や研究 者集団が,国家や社会と築いてきた関係を歴史的に検証したい。科学・技術をめぐる構造を地域横断的に検討することで,現在に生きるわれわれが,いかに科 学・技術との関係を築いていくべきかについて有益な示唆が得られるだろう。
 科学史・技術史の文脈では,1980年代以降,科学・技術を国家や社会との関係性という観点から捉えなおす研究潮流があった。そのなかで,第一次世界大 戦を契機として,科学・技術を扱う専門家集団が国家との関係を緊密化していったことが指摘されるが,そうした関係を体現するもっとも顕著な例が,第二次世界大戦後のアメリカ合衆国で急速に発達したといわれる軍産複合体であろう。近年,この軍産複合体のなかに組みこまれた研究機関としての大学の役割を強調し,それを「軍産学複合体」と呼称する向きがあるが,第一報告者の畑野勇氏は,近代日本のなかに「軍産学複合体」を見出す。畑野氏の報告「戦時体制期日本 の「軍産学複合体」──科学・技術の専門家集団の膨張とその問題性──」は,軍事関連技術の専門家集団であった陸海軍が重工業界や大学との間に形成した 「軍産学複合体」の活動を取り上げ,科学・技術をめぐる意思決定主体が専門家集団に限定されがちであることの弊害について考察する。この複合体が戦時体制 期に,人的資源の配分決定権をはじめとして,物的・財政的諸資源の配分や工業生産力の調整にも多大な影響を及ぼすと同時に,研究開発をめぐる共同体内部で の平等互恵性と,外部からのチェック抑制を排除する閉鎖性という二面性をも有し,結果として国民に多大な惨禍をもたらしたことを畑野報告は明らかにする。
上記のごとく,科学・技術と国家や社会との関係が,近現代の枠組みにおいて考察される傾向があるのに対し,科学的な知の営みや認識論的枠組みの違いを意識しながら,近代以前における同様の問題に取り組んできたのが,第二報告の隠岐さや香氏である。隠岐氏の報告「パリ王立科学アカデミーにみる近代科学と国 家」は,近代西洋社会における国家による最初の本格的な科学研究機関の一つとされるパリ王立科学アカデミーに焦点を当てる。当時のフランスでは大学は科学研究の中心にはなく,アカデミーと呼ばれた組織がそれを担っていた。同アカデミーはフランス革命期に廃止されるものの,その関係者が今日にもつながる科学 の諸制度を構築していったのである。隠岐報告は,この科学アカデミーが出現した経緯,および時代ごとの国家や社会との関わりを検証し,それにより近代国家 の形成と自然科学の制度化がどのように関わりあっていたのかを考察するものである。
 さらに,第二次世界大戦前のアメリカの原子力研究を専門とする日野川静枝氏,近代アイルランドにおける高等教育を専門とする崎山直樹氏にコメントをお願いする。時代・地域の異なる報告とコメントを通じ,それぞれの時代・地域における科学・技術の特殊性が導き出されるとともに,比較史的観点から有益な議論が引き出され,歴史全体における科学・技術の重要性について深い考察がなされることを期待する。(藤田怜史)

[参考文献]
畑野勇『近代日本の軍産学複合体──海軍・重工業界・大学──』創文社,2005年。
隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」──フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ──』名古屋大学出版会,2011年。

0 件のコメント: