2014年4月19日土曜日

2014年度歴史学研究会大会近代史部会のお知らせ

 歴史学研究会近代史部会では、2014年度大会「「寛容」と嫌悪を問い直すためのクィア史」をテーマに掲げ、内田雅克氏、野田恵子氏に報告を依頼しました。コメンテーターにはドイツ史において「クィア・ヒストリー」の地平を切り開かれた星乃治彦氏、日本近現代史の成田龍一氏にそれぞれのお立場からご発言をいただきます。
ご多忙中とは存じますが、お誘いあわせの上ご参加下さいますようお願い申し上げます。

2014年度歴史学研究会大会近代史部会

「寛容」と嫌悪を問い直すためのクィア史


日時:2014年5月25日(日)[大会第2日目] 9時30分~
会場:駒澤大学駒沢キャンパス 1号館202教室

会場整理費:一般1800円、会員1500円、学生(修士課程まで)1000円。
*他部会の報告テーマは下記URL(歴研本部のHP)をご参照下さい。
http://rekiken.jp/annual_meetings/index.html

≪報告者≫  
・内田雅克氏
 「エフェミナシー・フォビア ―誰が「非男」とされたのか」

・野田恵子氏
 「〈性愛と友愛〉の境界線の政治学―イギリスにおける女同士の絆の(不) 可視化」


≪コメンテーター≫

・星乃治彦氏
・成田龍一氏

 ≪主旨説明≫ 

本年度の近代史部会では「「寛容」と嫌悪を問い直すためのクィア史」をテーマとし、クィア史の可能性と課題を展望することを試みる場としたい。
 クィア史とは、人口に膾炙しているLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)史と互いに接点を持ちつつも、方向性を異にする アプローチであることをまず確認しておきたい。LGBT史が20世紀後半のフェミニズム運動や公民権運動の展開の下で、LGBTそれぞれのアイデンティ ティの主体化を行い、その解放と地位向上を目指したのに対し、クィア史はセクシュアリティのアイデンティティ形成の過程を徹底的に照射することによって、 ある特定のセクシュアリティやジェンダーが社会にとってどのように「問題」として浮上するのかに焦点を当てるものである。ただし、LGBT史、クィア史ともに、社会における抑圧がなぜ発生し、何を根拠としたかについて考察している。
 日本におけるLGBTスタディーズ、クィア・スタディーズは1990年代以降進展を見せたが、それは当事者による活動や発言が注目を集めたことと軌を一にする。たとえば1990年の「府中青年の家」事件とそれをめぐる裁判や、「エイズ・パニック」への対処およびコミュニティの支援などがある。そこでは性的指向を権利として追求する試みがなされ、自己アイデンティティの肯定へと歩を進めた。ただし、「性同一性障害特例法」は性別変更が厳しく制限されるとともに、異性愛を基盤とする法体系と「特例法」との間にさまざまな矛盾を露呈させた。「特例法」が示す状況は、既存のジェンダー秩序を維持・強化する動きにほかならず、問題は、私たちの社会を変えることなく、そのような人々も包摂可能と考える「寛容」さの意識や規範そのものの検討がなされなければならないという点である。さらに「寛容」さを批判的に見ることは、差別や区別が、誰によって、どのような論理や与件によってつくられるのかをあぶり出し、近代が生み出した異性愛による性別二元論を再検討することにつながる。
 本企画の目的は、上記のようなクィア史の問題意識に依拠しながら近代史を再考するとともに、日本の歴史学の文脈においてクィア史をどのように位置づけるかを議論することである。女性史・ジェンダー史研究が明らかにしてきたように、近代の歴史は「女らしさ」の創造と操作、男性の「自然化」の歴史であった。たとえば歴史学研究会編『性と権力関係の歴史』(青木書店、2004年)は、女性史・ジェンダー史の観点から「性」にまつわる権力関係を描いている。一 方、ジェンダー化された男性に着目する男性性・男性史研究も生まれ、「男らしさ」の複数性に注目する議論も提起されている。国家や社会によって男性のあるべき規範として提示される「ヘゲモニックな男性性」(R・コンネル)は「女らしさ」の周縁化のみならず、「弱さ」や性的逸脱に対するフォビアを伴って構築されてきたのである。また、2012年から2013年にかけて日本アメリカ史学会、イギリス女性史研究会、ジェンダー史学会で歴史におけるセクシュアリ ティや同性愛をテーマにシンポジウムが相次いで開催された。そこでは異性愛主義、女性嫌悪と同性愛恐怖に基づくホモソーシャルな関係などが議論の俎上にのぼったものの、歴史的地平からのアプローチはまだ緒についたばかりである。
 上記の視角、方法および研究動向を踏まえ、以下の3点を論点としたい。
 ①セクシュアリティの語りを、国家・法制度・社会規範・階級・民族などさまざまなファクターが絡まりあうアリーナと定義し、近代がもたらした性別二元論 を問い直す。
 ②クィア史を性愛のみではなく、「友愛」や「友情」など、ホモソーシャルな関係も含むものとして分析し、性的マイノリティへの恐怖や嫌悪を考察する。また男性同性愛を、「女のような男」などの既成の異性愛関係になぞらえて解釈される点に留意し、セクシュアリティとジェンダーが交差するものとして分析する。
 ③ある特定のセクシュアリティを法制度・社会政策・医学的な「治療」によって抑圧する一方、「救済すべき人々」を「寛容」さによって社会的に包摂し、既存のセクシュアリティとジェンダー秩序を再編・強化する動きに着目する。
 このような問題意識から内田雅克氏、野田恵子氏に報告を依頼した。内田氏は「エフェミナシー・フォビア──誰が「非男」とされたのか──」と題し、近代日本におけるエフェミナシー・フォビア(effeminacy phobia)──「女みたい」と言われてはならないという強迫観念と「女みたい」な男への嫌悪──が形成されていった過程を読み解き、富国強兵・帝国拡大の歴史を歩む国家において、精神的・身体的に軟弱な男、そして、男でありながら男を愛する同性愛者を「非男」として差別化していくポリティクスを男性史 的視点から論じる。
 野田氏は「〈性愛と友愛〉の境界線の政治学──イギリスにおける女同士の絆の(不)可視化──」と題し、19世紀から20世紀転換期のイギリスを対象に、「社会純潔運動」、法制度、性科学のなかでのセクシュアリティの編成を論じる。そこでは男性同性愛に対しては性的な主体化が語られ、法的・道徳的規制 がなされる一方で、女性同性愛は「不可視化」され、「友愛」などの語りから、性科学によって性的主体として可視化された。法・道徳・科学からセクシュアリ ティやジェンダーがイギリス社会の規範や制度にどのような影響を与えたかについて論じる。
 コメンテーターにはドイツ近現代史をフィールドとしつつ「クィア・ヒストリー」の地平を切り開いてきた星乃治彦氏、日本近現代史の立場から成田龍一氏にお願いした。活発な議論を期待する。(酒井晃)

[参考文献]
内田雅克『大日本帝国の「少年」と「男性性」──少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」──』(明石書店、2010年)。
野田恵子「女同士の絆の歴史──「ラドクリフ・ホール事件」(1928)前後のイギリスを中心に──」(『思想』1005号、2008年1月)。