2008年2月18日月曜日

いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来:人間文化研究機構

ご案内を頂きましたので、お知らせ致します。
詳細は[シンポジウムのサイト]をご覧下さい。


統一テーマ「いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来」

人間文化研究機構「ユーラシアと日本」〈権力システム〉班主催シンポジウム(2008年3月1~3月2日)
 場所:京都市国際交流会館
(京都市左京区粟田口鳥居町2-1)

事前申し込みが必要となります。
住所、氏名(ふりがな)、職業または所属機関、団体名など、連絡先電話番号を記入し、葉書またはFaxでお申し込み下さい。申し込み締め切りは2月22日まで(申込先着120名)
申込先
565−8511
吹田市千里万博公園10−1国立民族学博物館管理部研究協力課共同利用係
Fax:06−6878−8479

いまなぜ国民国家か―国民国家の過去・現在・未来
【開催趣旨】
 国民国家の相対化が叫ばれて久しい。いうまでもなく国民国家とは、近代において成立したものであり、その成立は作為的であった。フランス革命の際に、何故に国民国家の成立が求められたのかといえば、ブルジョワジーが国王や貴族から政権を奪い取るために、現実には多様な階級や階層、エスニステイーで構成される第三身分なるものの一体性と絶対性を主張し、彼らを一括りに国民として定義づける必要があったからである。ここにフランスは、さまざまな政治文化や国家装置を生み出すことによって、国民なるものの歴史性と現実性と永遠性を不断に説き続けていくことになる。そして以後、国民国家は、近代国家の絶対的なモデルとなり、アジア・アフリカ諸国もその採用を迫られるに至る。
 確かに、国民国家にまつわる様々な政治文化や国家装置は、コピーとペーストが可能であり、どこの国でも国民国家が形成され得る与件を持っているかのようにみえる。しかしながら19世紀から20世紀前半にかけての世界史は、国民国家化を成し遂げて、さらに帝国主義化した国々と、国民国家の形成を意図しつつ、結局はそれに挫折、失敗した国々とによって特徴づけられる。国民国家化とは、為政者たちが作為を意図さえすれば、なし得るというものでは必ずしもない。しかも、同じく国民国家の創設に成功を収めた国であっても、その政治文化や国家装置のあり方にはさまざまな個性が窺われる。
 国民国家は相対化されるべきだが、そのシステムはすぐになくなるわけではない。それどころか、いまやグローバリゼーションへの反動として、再版国民国家化の動きが表れだしており、それは強化されようとさえしている。本国際シンポジウムは、こうした歴史段階にあって、国民国家の歴史的条件や生成、発展の歴史を比較史的に検証し、さらにはその未来をも展望することによって、混迷する世界史を読み説くための資を、いくばくかなりとも提供したいと念じて開催することにしたものである。関心のある方には、ふるって参加して頂き、大いに議論を活性化していきたいと思う。

第1セッション「在来社会の変貌と国民国家の形成」
 国民国家の形成には、在来社会のあり方がある種の規定的働きをしていると同時に、それがひとたび形成されると、在来社会は変貌を強いられていく。本セッションはアジアにおいて国民国家化に成功した日本と、半植民地化に陥りながらも必死に国民国家化を目指した中国を例にとって、その様相を検証することを課題としている。コメントは、アジアの西端で国民国家化に成功したトルコの事例をふまえてなされる。国民国家は果たして、在来社会のどのようなものを前提にしつつ、しかもそれらに変容をしいていくのだろうか?

第2セッション「帝国と国民国家」
 国民国家は往々にして帝国化の願望を持つ。後発の国民国家日本は、まさにその典型であった。しかし他方で、多民族からなる帝国が解体することによって国民国家が誕生する国もある。トルコが格好の事例である。また二重制をとるオーストリア=ハンガリー帝国は、その内部に国民化が進行しつつ、なお第1次世界大戦まで帝国が維持された。本セッションではこの3国を、文化形成の問題を中心に比較することによって、帝国と国民国家がどのような相関関係にあるのかを探っていきたい。

第3セッション「人間の移動から見た国民国家」
 現在グローバリゼーションが進行する中にあって、人々の移動はますます激しくなっている。本セッションはこの現実をふまえ、移民がいかにして国民国家の排他性を現出させていくのか、あるいは逆にいかに移民を取り込みつつ国民形成がなされいくのかについて検証することを課題としている。歴史的な検証としては中国内の移住民と在日朝鮮人の問題を取り上げて考えてみたい。また現在の問題としては、ヨーロッパにおける非正規滞在者の問題を取り上げる。

第4セッション「国民国家の未来を考える」
 国民国家の過去と現在を論じた3つのセッションを受けて、このセッションでは国民国家の将来と可能性について考えたい。発題者のひとりである板垣雄三は、これまで西洋近代のそれをモデルにして考えられてきた国民国家の概念を脱構築するために、その根にあたる中世イスラーム世界にまで立ち返って、この概念の抱えるバイアスや課題を検討する。フランスの社会運動論の第一人者であるアラン・トゥーレーヌは、社会運動を通じて絶えず革新されるものとしての国民国家の新しい概念を構想する。竹沢尚一郎は、国民国家がつねに擬制として内包している文化的同質性の概念がもはや可能ではないこと、それに代わる国民国家の基礎づけが可能かを問う。本セッションでは、国民国家の成立史、国民国家内部の政治と宗教の関係、国家と社会の関係など、国民国家をめぐる主要課題にとり組みながら、国民国家の将来を考えてみたい。